卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

雑記か

昔自分の現状をコップで表していたのを思い出した。自分のコップは満タンでもう引くことなくただ水を入れても溢れるだけ。なにもしないとなにも起こらず自分を保っていられるが、少しでもストレスを与えると直ぐに心が崩壊すると。
まったくもってその思考の明日、いやそれ以上さきにいるいまなにを憶う。

脳の限界。生き方の限界。不可能なところまでいった。だから新しい生き方を探さないといけない。これが最初の見解だった。
いまはというと。そういう生き方。脳の中だけで自らの想像、現状からのできる限り、身体的なできる限りではない最高のわたしに合わせた世界。それに合わせてなにもかもを合わせる。iPhoneiPod間違えてiPhone持っているよっていってしまったことがあってそれに気づいても間違えたなんていえずひたすら誤魔化し続けたことがあった。嘘は付いていないのに付いてしまった。そんなことも知らなかった。間違えた。それを知られるのが怖かったんだ。そういう無駄なことばっかりにエネルギー使うから上手く変換出来ず消化不良になっちまったんだね。
自分に生きていないからストレスに死んだんだ。周りはいままでのわたしによってどうするか決めていくだけなんだから相手になんか合わせなくてよかったのにね。相手に嫌な思いさせないように配慮ばっかしていた。そんなの配慮じゃない。全部自分守るため。相手なんか鼻っから存在しない半端な自分のためのせかい。本当は嫌なら嫌といえ。どうでもいいならどうでもいいっていえ。それでどうしようもなく離れてしまってもよかったんだ。あなたと合わないのに一緒にいてるようにみせかけるほうが問題だった。そんなの関係じゃない。関係なんか興味なかったんだ。ただだれかいればそれでいい。いわゆる屑。自覚はしていたし罪悪感をもって過ごしていた。みんないい子とかいったりやさしいっていったり。俺の屑さを誰も指摘しなかった。気づいていたはずなのに。自分自身も。

コップなんて表現はそれに当て嵌まらせるのは不適当。あのときまでのわたしの生き方の限界って意味では適当。わたし自身は一切変わっていない、エネルギーが身体まで落ちてきていないから糧にならない血にならない。いわゆる天然さん(久しく記憶にない表現)の真相ってやつ。まったくとした屑なエゴが自らを避けていたから身体が不具合を起こす。心と身体の不一致。したいこといいたいこと言わず生きている振りをする。その場の対応に生命を尽くしていたから流れなどない。点だけが記憶。わたしの身体の記憶帳にはなにも残されていない。

血になる糧になるってそういうことか。色々な先人達の命の土壌を身体に沁みさすってことなんだ。身体にいかず脳で全部いちいち判断してその場の対応に大忙しだったから。エネルギーが下手な形で引っかかりまくって。こんな生き方じゃ無理って脳がストップかけたんだ。

コップなんてそんなところにない。脳は多々の改札口。どこにいくかなんてエネルギーが決めるんだ。僕が決めることじゃない。

身体にまったく栄養なしだから脳の改札口の修理が終わったら楽しみではあるね。いまちょっと入りが良くなっただけで身体が充実しているし。エネルギーの有効活用はせかいの課題。わたしもできる限り変換がうまくいくよう修理していくよ。わたしになるってそういうことか。


その時出来る限りの最高を。ゆっくりさをもって瞬間の一歩と向き合う。思考要らずの自然体を。心と身体はっきりと把握して確かな思考の方法を知りたい。生きるという当たり前の行動に殉じたい。

身体で生きるってところをもっとはっきり確かにわかりたいが今はここまでなので次に託す。少しづつ身体をしって生きる。身体とその記憶ってところも曖昧。身体に沁みた記憶とはなんだろうか。よくもわからず折れかけ支点だけ。
どうやったら身体で生きるなのか身体で知る必要がある。


最近野球をやっていた頃の魂の燃えが普段も現れるようになってきた。改札口の効果か。魂の燃やし方は勝負事だけにしか適用出来ないと思っていたが。実際自分のいままでとの闘いであること、瞬間瞬間判断が訪れるからこそかもしれない。

 

もう一つなにか思いついて書こうとしたが書こうか悩んで別のことに気がいっているうちに忘れた。次はものにしようね。