卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

要らない言葉

一日一文

  歩く。走る。バシャバシャッ。水溜りが延々に。汚れる。身体が汚水に縛られる。文字だ。言葉だ。水は逃れられないほどに言葉を携えている。歩け。走れ。存在の理由。存在の必然。動くこと。当たり前の進みが要求される。

要らない。要らないんだ。言葉は不可能だ。僕には理解できない。吸い取ることができない。歩くことができない。進む。言葉が身体に入ってくる。言葉。抜け落ちる。意味、かたち認識できない。なんだ君たちは。言葉っていうのか。僕の言葉には言葉がなかった。だからことば。君たちはことば。それらしき音色。だから話せない。何も話せない。口から音が溢れる。意味は溢れない。あなたはわかってる? わたしはつぶやく。おと。おとだけだ。嫌だ。なんなんだ。何を話しているんだろう。全部それらしきに包まれてそれで終わった。言葉はあるのだろうか。海だ。海が見える。言葉の海。巨人だ。ポセイドンだ。鯨もいる。言葉の鯨だ。口から言葉が溢れている。俺は敵わない。そう思い込んだ。
「くじらさーん」
少女が大きな声で呼びかける。鯨に呼びかける。
「なぜあなたはそんなに言葉を」
鯨は云う。
「口のなか胃のなか肺のなか。言葉を一杯要れているだけにすぎん。ほらみろげろすれば」
げろげろげろ〜。言葉だ。鯨の言葉が。
「だめくじらさん。そんなことをすればあなたは」
鯨は首を振る。
「わしなら大丈夫じゃ。また飲めばいいだけじゃ。それだけじゃ」
少女は震えている。自分のやった意味に耐えきれないように。
「しょせんこういうことじゃ。ただ飲んでいるだけ。わし自身の言葉などほんの少しだけ」
ぷしゃー。鯨は潮を吹いた。
「これだけじゃ」
そういって鯨は海中へと姿を消した。少女は泣いている。嗚咽にまみれている。
俺は歩く。ただ歩く。ことば。ことばだけを携えて。
何も身につくことはない。ただことばだけが付随して。
歩く歩く。前はひたすら暗い。何処を歩いているのか。どんどんことばが足を縛っていく。沼に入ったような。ここで俺は言葉に孕まれる。なんの言葉かなんて知らない。でも俺は言葉のなか。それとして生きる。
歩く。ただ歩く。言葉に孕まれてもただ歩く。日々言葉がどんどん俺を孕んでいく。ことばが足を纏っていく。歩く。ただ歩く。
ひとだ。ひとが歩いている。言葉に孕まれたひとだ。ことばを携えたひとだ。
「あなたもですね」
そのひと、男は話しかけてきた。
「何がだ」
「あのひかりに導かれてやってきたのでしょう」
おとこは指差す。暗闇のなかで先もさき、奥もおくに僅かな微かなひかりがうっすらと溢れている。
「気づかなかったな。あんなひかりが溢れているなんて」
「でもあなたはいつのまにか導かれていたんではありませんか。だからこそここまでやってこれたのでは」
「わからない。わからないが」
どうしようもなくなにもなくともそれでも俺は歩き歩き歩いてきた。どろどろにことばに惑わされ付随してきてもそれでも歩き続けた。少しの僅かな希望。言葉を求めて。
「見てごらんなさい。あこにもあそこにも」
ひとだ。おとこ、おんな、しょうじょ、しょうねん。ろうじんもだ。言葉に孕まれことばを携えてどろどろに汚濁にまみれながらも歩いている。
「希望なのですよ。すべては」
そう言い切っておとこはおれのもとを離れた。
希望。ことば。言葉だ。言葉が待っている。ただそれだけだったのだろう。それだけを求めて。求め続けて。ひとは、おれはただ歩き続ける。せめてせめて得られたい。少しでも少しでも前へ前へ歩き続ける。おれは歩き続ける。歩いても歩いてもひかりは距離を変えない。それでも歩く。ただ歩く。ことばを携えておれは歩く。いつまでも。