卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

草原

一日一文

 賢人が風の草原を空気にまみれながら独り立つ。夢は何処へ。賢人は果たしてなにを抱えられているのだろうか。

草原には少女。花を摘んでいる。風が吹いている。日は浅い。
少女が少年と走りあっている。追いかけっこだ。賢人はみている。過去か夢想かわからぬが映像をみている。夢だ。賢人を含んだ草原の夢だ。
賢人は迷い込んでしまった。ここが彼の居場所になってしまった。彼は絵のなかにいる。人々は通り過ぎる。賢人の夢と名付けられた絵画の前を人々は一瞥した後通り過ぎる。何処かの文化祭にて飾られたこの絵はこの学校のものによって為された絵画ではない。何処からか紛れ込みあまりに忙しく手のつけられない事情により意図なき理由を抱え今文化祭中にも関わらず人通りの少ない廊下に複数の絵画と共に飾られていた。
その絵をただじっと眺めている男が一人いた。人通りが少ないとはいえ少なからず通路の役割を請け負った廊下を妨げるように男は立っていた。時々通りかかる忙しそうな女生徒は迷惑そうに通り抜けていくというにも関わらず男はただ眺めていた。
男は涙を流さぬ人間だ。生まれてこのかた泣いたことがないと勝手に信じ込むぐらいには涙を流さなかった。その男が今泣いている。涙を流している。
昔の話だ。昔男は草原に立っていたことがある。草原には少女がいたのだ。少女は麦わら帽子を被り男は少年だった。
男は全てが溶けたようだった。男自身に絡められた決して払拭されぬ悔恨から解き放たれた。そんな絵を男はただ眺めていた。
眺めているとはいえない。男はただ涙を流して立っていただけなのだから。もうそれでしかなくて。男が巡り合った様々な現象、世界という物差しで測ったならば男に関する文字は一つも生まれないであろうそんな出来事を男は回想していた。
幾多に重なり合い混ざり合い想いながら忘れていき男の夢は夢となる。ただ草原に少女と少年がいて戯れている。男の夢はそれで簡潔できた。
男は涙を拭った。いつまでもこの場所に立っているわけにはいかぬ。文化祭は佳境を迎えていた。男は一度周りの様子を確かめた後もう一度その絵をみた。そして男は歩き出した。文化祭から姿を消した。絵は文化祭を終えた後廃棄された。誰のものでもない絵、そしてあまりに拙い絵であったため廃棄という道を辿ったのであろう。一人の男の目には止まったがそれだけであったようだ。