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ふにゃっ

あの星のふもと、かたちが手を振っている

とうふ

一日一文

とうふは硬いので要注意。とうふは家具だ。椅子だ。みんな座っている。食われてたときもあったらしい。ちょっとした豆知識として世間に知られている。
とうふはそこらに落ちている。かつては石や岩だったという。地面を支配するものは変わった。とうふだ。とうふが僕たちを支えている。ゆらゆらと揺れない。箸は通さない。ごく普通の硬さで地面を支えている。それがとうふだ。
人間は永きに渡る冬眠を果たした結果とうふをなくした。とうふは地面のなかに潜り込んでしまった。人間というものは一度忘れた文化には何ら構うものではありませんのでそのままとうふは地面に潜り続けた。そして発酵した。地面を支配していった。
誰も気づく事なくなにも起こらずとうふはいつの間にか地面の基盤を全てすり替えてしまった。お父さんあそこにとうふが落ちているよ大変だ。そう子供が叫んでも父親はとうふのことを知らなかった。ああそうか、とうふか。それはなかなかだ。そうごまかすだけだった。
とうふの角を頭にぶつけたら死ぬ。先月もまた死者が三人でた。国会ではこのことについて近々議論されるらしい。当然ながら硬く人を殺すとうふは椅子という立場を追放されるだろう。それがとうふの運命だ。硬くなりすぎたとうふの因果だ。
とうふはなぜ硬くなったのであろうか。私たちがあまりに放ったらかしにしすぎた、それに尽きるのか。とうふは食用だったという。ひとに食われず腐ろうにも文字通り最初から腐っているとうふはいつまでも地面のなかで風化を待っていたのであろう。されどそこは地面のなか、空気はない、微生物は苦いとうふに寄り付かない。そうなればいくらとうふとはいえ心細い。私たちが長い冬眠から覚めてもとうふは忘れられておりはるか地の下ですすり泣くしかなかったわけで。そういうわけで誠に当然なとうふの変容だった。
そういう歴史が朝のワイドショー、ネットのワードとして祭り上げられ次第にひとはよだれを垂らし始めた。食から遠ざかった人間、栄養をただ情報として含むだけだった人間もかつての口の動きがまだまだ現役だったようでもう止まらない。数多の人々がとうふを掘り出した。こんな硬いとうふではなく柔らかくほどほどに苦くちょっとした腹の足しになるとうふ、文献でしか味わえないその味をひとは食べたくなったのだ。
そうして掘って掘って掘り続けてそしてひとははるか地層のしたに柔らかくて白いものを発見した。よだれが白いものに垂れる。おれだ、おれのもんだ。誰にも知らせることなく第一発見者が食った。見事な食いっぷり。なかなかのもんだ。
男は歓喜した。こんなうまいもんは食ったことがない。その瞬間男の腹から音が鳴った。腹の音だ。その音は久しく流れていない音だった。絶滅への第一歩だった。
とうふはそう多くない。地面の下とはいえこう何百年も柔らかく食えるとうふとして現存されていたことが奇跡みたいなものだ。大体がかつての地面を吸収し硬いとうふになったのだから。
それぞれに掘っていた人々がどんどんと柔らかいとうふに行き当たる。そして食う。かつての欲を思い出していく。とうふを食うしかない。ひとはもはや情報しか食えぬ生物となっていたのに。残り僅かで発見するのにひと苦労するとうふに向かってとうふを食った人々は動き回った。制御された身体はどんどん外れていく。頭は動くのに身体は無くなってしまった。とうふだけを考えてひとはずっと地下深くの硬いとうふを床として逝ってしまった。
とうふを食わぬひともそりゃあたくさんいた。そもそも数が少なく優先された人々だけが地面を掘り食ったのだから。だから残った人々はいつまでもいつまでも忘れられずよだれを垂らし続けるひともいたらとっくに瞬間のどうでもいい話題として忘れるひともいた。ようはひとそれぞれというはなしである。