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ふにゃっ

かたちだよ♡

一日一文

一日一文



値というのがまるで世界の価値のように犬さんは貪っていく。ただ人々が上手く廻るように措置された法であるのに。ただそういうものだとして接するには市場が大きすぎるのでこういう感じになった。みんなそうやって受け取る。それが価値だと信じてる。ただそう廻っているだけなのに。
そこまでに身体を透して生きていないわたしはただゆめの世界。嘘みたいな馬鹿みたいな。それでも通さなければ存在できず手錠かけられ引きずられているわたし。いたたのた。
なにもない。常になにもない。富もなくちゃ貧もない。ただ目の後ろには常に死。それなのに苦しみと楽の頻度は違うし危険も違う。どっちもどっちか。ならばわたしはただここにいるということを逸らし選択しちゃう。
この場所からのゆめを嫌だと云ってもそれ以外になにかあるというとわからない。そもそも総てが合理的に積み上げられていくのだからわたしはわたしをただやっていけばいいじゃんなのだが。だからと云ってまあここがわたしなんだよね。そういうところを意識してるわたし。馬鹿みたい。
ことばはその場所に紐づけられ全部その場所に相応しいことばになるんだけど。わたしってやつは言葉や場所や人や感情を嫌いそういう言葉を避けてきたわけでわたし自身の蕩けた自我の縛りはなかなかに脆く弱い。奥の奥でただいや、いやと呟いている自我さん。だからわたしのことばは奥の奥の自我さんが物凄く詰め込み縛ってる廻りに流れの薄い液体のなかをただぷかぷか浮かんでいる。そのことばはなにも殺さない。だから誰も刺せないだろう。
わたし自身を誰かがみてなにを感じるだろうか。下らなく無意識でどうでもいいひと。そういうひとであることを望んだんでしょう。そういうひとであればなにもおこらないし。そう思うと哀しいしまあいいやって思うし、まあいいや。そうなっちゃう。
ただドラキュラの棺のなかで日々を過ごそう。牙もなく血も吸えず十字架には全然弱くないがわたしはドラキュラ伯爵なのだ。そういうことばなのだ。
ただ前で吐く。それが価値。ただあるものをそのままじゃあれなくなれさそうになった時の措置。それが価値。
ならばならば。別にどうでもいいと思っているくせに価値に縛られる。わたしのうえにあるものなんだからそういう感情のうえにあふものなんだから。だから勝手にしてする。そんなんだろう。

 すべてうえにあるもの。わたしというもののうえのおはなし。それを知らず動くひとは悲しみの波で泣いちゃう。わたしもそうでだから、だからいやなのね。悲しみしかないって悲しいもんね。でもそういう土壌がわたしだったのならば吠えるしかない。ワオーンワオーンって月に吠えるしかねぇ。そういうワン公なのであります。

 認識して理解してそういうものとして扱って。馬鹿だ。あほだ。それ自体がわたしってふざけてる。首絞める。

 嫌だと云ってもそれは言葉にならない。人っていうもの。生きるっていうもの。どっちにしてもなににしても一緒なのだ。言葉になるなら一緒じゃん。同じ穴のむしろじゃん。だからなにも言えず言わず死ぬか死んでいくかそういうものになる。そんなものになれなかったわたしはことばを吐くしかない。これこそが唯一の反抗なのだ。行動なのだ。これしか信じられぬ。誰にも刺さらずされどただ死んではいかぬ。あほみたいなわたしの呟き大事な呟き。動かぬ液体のなかで浮いていくことば。みよこれこそがわたし。誰にも触れられぬわたしのことば。あなたが触れた瞬間にことばは霧散するだろう。意味なしことばと切り捨てて入ってこないだろう。そういう存在なのだからだから。

 まあわたし。わたしです。ここにはわたしがいます。ただいます。それだけなのでした。ようは。

 誰にも攻められないし効かないしだからと云って無敵じゃないわたしのことば。すぐ潰れる脆く弱く霧散する。だからね、うん。これでいいや。これがわたしなんだからね。また縛ったあほなわたしであった。