卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

動脈

一日一文

動脈

言葉とかことばとか人の口や身体から流れでるリズムは要は動脈を乱さず流れることをしているのかやっているのかと言うことであり、わたしも好んでか適してかいざ知れず自分に関わっている問題の上でただこのリズムをたまたま使っている。
どこも大抵はなぜかそこにいてその上で治安を維持するそれが上の言葉だ。自らの思考は自ら勝手にすればいいのであって、それをその場所でできる限りの乱れを起こさないように言葉は造られて。
自分の動脈を考える。どこに土壌があるのかあったのか。自らが語れる栄養はどこに眠っているのか。叩き起こさなければならない。メガホンで声を拡張し気付かさなければならない。君、君はここにいる。ここで生命を持っている。それを知りたまえ。気づきたまえ。それを逸らすと言うこともまた生命の標なんだよと。

気づくというのは難しい。それはなんて勝手な思い込みというか押し付けともいえる代物なんだけどだからこそ話は拗れる。中々に一本の確かな道筋を思い描きそらに感じるまでにはいかん。自らの思い込みはなんといっても大事なものだからそれを破壊などあほうだ。もしするならば気づくではなく従うになって意味なしなわたしになってしまうし。
明るいわたし。少なくとも液体に張った膜の下側で意識していたわたし。今日から張った膜の上側で生きたいね。どっちゃでもどっちでも良かろうし自分の体験から来るあほ信条を確かとして膜の上で考えるというのはなかなかだからこそここにいるのだろうし。わからんしわからんがもっともっと別の動脈があるのではないかとわたしは思うのです。少しづつではありますがそれに感じて掘って自らのことばとして明日呟けられるならば、いいものあるし嫌なものもあるが、ここら辺はまだまだ不快感、だからこそたた自らに関わる要素というものを含めていく、そこにいるわたしとしてただ綴る。

いいお話を描きたいの。

わたし。わたしの綴りと叫びと唸りと逸らしとゆめ。ただある気づける気づけないわたしを。

現せないって要は昔のいま。ただ生きていく。今、今に重ねてしまった思い込み、それをただやっていくだけなのね、どういう道かなんて知らんけど、やっていくだけ。はい。

流されるな。自分が確かというリズムを。死んだ動脈? 生きているわたし。殺すなわたし。よたれるなわたし。ただいて生きてそして気づけ(なにに?

自分の世界は狭いけれどそれが今のわたしではありますのでそれをただやりつつぶち壊しつつただやって生き生きてそれだけを無為に過ごします。

明日、来年の為に老後の為に今を費やするんじゃないよ。自らの思い込みがそうならいいけれど。絶やすなもたれるな。揺らいでひきづられているのならば馬鹿だよ。走ったり歩いたり周り見ながら進んでいるのならばよかだけど。ただ馬に引きずられているだけなら拳銃で馬撃ちなさい。っていうより色々だろうけれどそういうもんじゃないよ。馬がいくら速くてもさそれはただ馬の速さであんたにもわたしにも速さはあるのだからそれだけをただ頻りに信じ思い込んで引きずられても歩けばいいと思うよ。縄なんて後ろにも前にもあるのだから。引きずり引きずられる人生だ、はい。

まあてきとうさんはいはいほー。