卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

アナログテレビ(身体)

一日一文

身体

舌足らずの僕は口に出しにくい言葉を使わないように生きていて声を出して文字を読めと言われると詰まり声出ずお言葉になるときも数知れず。そうやって縛りつけるお体さんですがそれこそが個人というものを定めわたしと呼ばれるふにゃふにゃ人間を産む次第でございます。
そんなわたしがもしアナログテレビなら何を考えるのでしょう。クーロンズゲートというゲームに妄人という存在がいましたがわたしはそんなになにか妄想し続ける人間なのかというと違うような気もしますが解りません。わたし自身の規定などわたしに出来るはずもありません。わたし自身を知るには他人に犯され捲るという体験が必要でありそれのないわたしは全くの処女であるのですからわたしはわたしだもんって他者と個人の規定は半端な認識程度で収まっている次第。ですからアナログテレビにはおそらくならないでしょうがそれでもアナログテレビになったとしたらなにを考えるのでしょう。
「」
わたしの家にはアナログテレビが四つあります。廃品回収にでも打ち捨ててしまうのが社会性でしょうがうちの家はとんま野郎で構成されていますので地上波映らずになってからもこうして停留しているのです。そんなアナログテレビがわたしだとしたらなにを思うでしょう。
「」
思考っていうものが全然違うただ命令されたものを出力するアナログテレビには個人認識というものはおそらくないでしょうしそうと決まれば意外にいつの間にかわたしはアナログテレビになっていたこともあるような気がします。だって感じるというものがないのですからいつわたしがアナログテレビになっていってもおかしくありません。他者は忘れているだけです。ベット上布団の下にアナログテレビがあります。誰も起こしに来ません。アナログテレビに食費はいりません。金が全く掛かりません。なんて便利なんでしょう。これを自動的に行使出来るのならば誰もがアナログテレビになるでしょう。そうすれば便利ですし人類の生存戦略に組み込まれるのにも不思議ではない。問題はどうすればアナログテレビになれるのかということです。
もう古代の技術です。人の身体には今を体現できる力は有りますがかつての今を体現する力は残念ながら有りません。世の中に漂っている大きな文脈を自らに当てはめて世にも奇妙な機械を創り出すことができるのです。アナログテレビも今や忘れられたオブジェのように存在するものしかないのでしょう。
ならば妄想するしか有りません。アナログテレビを分解してパーツを飲み込むわけにもいかないでしょうし。身体に埋めて埋め込んでっていったらただの改造人間だから止めておいた方がいいです。それではコスプレ。アナログテレビでは有りません。
やはりいつの間にかアナログテレビになっていて僕たちは気づけないだけなのかも知れません。わたしの家のアナログテレビも見知らぬ住民又は家族の誰かかも知れません。わたしには気づけないだけで彼らは人間なのです。睡眠中なのです。私たちと彼らは交代制で人類を演じています。人類の人口は知らないだけでもっと多いのです。ただアナログテレビと認識する彼らと人と認識している私たちの間ではそうは違いがないのですが互いに接触することはないのでしょう。彼らと私たちでは倫理観も違うのでしょう。それはそれで気になりますが彼らにとって私たちはただのアナログテレビですので残念です。
私たちはアナログテレビです。問題なくアナログテレビです。されど認識することはできません。それは限りなく人類の身体のなかで縛られて見える思い込みなのですから。アナログテレビにはなにも有りません。だから気づけないだけです。あなたはアナログテレビわたしもアナログテレビそれは事実なのです。