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ふにゃっ

あの星のふもと、かたちが手を振っている

生きる

一文

 生きる。生きるに満ちた世界。生きるが地面。生きるが当たり前。生きる。そんなの普通ですから。なんてことない。
生きるの上は何もない。理由とか希望とか必要ない。争いや憎しみで満ちているがどれもどうでもいい。何にもないからね。どうでもいいからてきとうに過ごしていく。
適切な適切な関係。対応はどんどん触りあい平面化していく。そこにわたし。生きるわたし。それ以外に何もない。絶望とか死とか何にもない。
生きるしかないし。ここにはもう君はいるし。いるんだから無くなったらもう在ることはできないし。なら死んだらいつか死ぬしそうなら生きていればいいでしょ。いつでも死ねるんだから死ぬまで生きるべきだね。生きるしかないの。あるんだからね。
死とか無くなることにそこ迄執着しなくていいよ。生きるしかないしあるしかないんだから。どうせそうしかないから執着するんだろうが勝手がよろしくないよ。生きているんだから生きるしかないの。それが生きているってことなの。そうしかありえないの。そうじゃなければ君は存在していないからね。存在するってそういうこと。生きるしかないってこと。
それを満たしてそれ以外に何があるのって何にもない。阿保な馬鹿なふざけた世界だ。生きるしかないから生きたらなんにもないじゃん。空虚な虚無な無為な日々。在るってふざけている。生きるってふざけている。娯楽か、希死念慮って。
快楽。最大の情念。希死念慮。生きるも死ぬもふざけている。在るって感覚がふざけている。在るとないと僕は半端で自身を透過させる。在るしかない、無しかない。在ると無いをひたすら掠らせてこころを鮮烈に導く。在るを最も感じられる場所。だから固執して次第にどっちにも行けなくなって自殺する。身体が生き残れば生きるを、無くなれば死ぬへ進む。
みんなみんなくだらない。生きるになるしかなかった怯える僕は生きるに足りない身体を持って生きるになっていく。何もないくだらないその癖生きていやがる世界。在れるように見せかけた茶番に浸かり騙して積み木を崩す。それをやって気づいた時には何もかもを消費している。肉体は内臓を落としている。
そして亡くなる。死ぬ。スイッチがオンからオフへと変わるように単純に死ぬ。生きるの上でどうでもいい思考を重ねてそれが嬲られるのに苦痛を感じ全て溶かしきったならばくだらない昇天を迎える。馬鹿だ。10代で人は死ぬ。それ以降は誰もいない。選ばれた何者か、つまり永遠の少年と見間違える何事も跨げなかった超越者のみが10代を超えても生きているのだろう。だろうしか言えないわたしはとっくの昔に死んでいるのでそんな人は知らない。ただまぁどうでもいいけどね。何事も結局同じすぎてただ積まれているだけだ嘘過ぎる。気づかず構わず通り過ぎられるそんな夢を見せてください。見せます。ははっ。
まあ希死念慮で十代後半を過ごしたから生きるは果たして薄くなかなか積み木を載せていくのはこういう書き書きさんでは劣っているな(そういう世界の観点ね)と感じる。どうでもいいけどそこで生きたいと場違いふざけた言い分を通すならば生きるで通さなければならない。そうじゃないんだよ。そういうならばそこには必要ないからね。其処がある意味ジレンマだけどそれは此処にいるから少しでも思っちゃうわけで。その場所の生きるに為っちまったらこんな言葉浮かべねぇ。此処はわたしの生きる。だからってその場所では存在しない。居ないんだよ。為るって馬鹿げているけれどそうなっちゃうんだから愚かでも適当にやるしかない。ふざけているけどねそれが俺。
まあ生きるしかない。どの場所もそれぞれの生きるで保ってやがる。何を載せているかはその土地次第だろうが知らん。何かに駆られてやがる。かぶれている。どっちも何もかも無意味でも生きるにされている俺はそれでいるならば生きるに為るしかない。この定理がムカつく。殺したい。何もないのにねそんなやつ。ただかぶれて捻って次第に生まれて思考してこんなんになっちまっただけなんだからな。ふざけているがどうしようもねぇ。生きるなんだ。ここは生きるの上。それ以外には存在しないからそんな言葉ない。語られない。誰も知らない。10代の俺しかね。
何かもっと巨大な歪な塔を建設してまうよな。希死念慮野郎はな諦観の道を歩まず吐いて吐いて吐いて生きるになるならば。知らんけどね。もうあほだな。どうでもいいよ。全員死んでいるんだ。生きられねぇ。死は超えられない。楽しかったあの時。例え如何であろうと生きていたならねぇ、そして死なない。そんなの勝手な思い込みだからでも大切な思い込みだよ。其れは少なくとも薄い初体験なんだから。個人っていう容れ物は瞬間過ぎて語られないがでもだからこそここでしか述べられないわたしは其れを述べる。あの時は大事だった。だから死を敬い生を憎む。その間を尊ぶ。それが生きる術だよ少なくともね。もう生きるだろうとふざけていようと吐くよ。どうでもいいよ。ただやるよ。それが生きるか? 誰にも解るまで解らん。解らんでいい勝手にしろ。ふざけた言葉回しで輪廻を繰り返しな。それが生きた言葉か? ああむかつく。生きるか生きる。生きておけ勝手に回しておけ色々とな。そして消化しな。何を目指しているのか。生きるだけを目指し死を目指し、それ以外はなんにもない。ただお飾りを作ったり壊したりだけだろうからね。生きた目標なんか生きるならばなくなるよ。生きるからね。どうしようもない。
もうなんのしようもない。だから希死念慮になるんだが。もう本当やはり生きるにしても勝手にしとけとしかいいようがないな。全世界の超えられなかった全てを祈ろう。それこそが最も尊い存在だ。死者たち万物はただあなたたちの青春を祝います。青春こそが希死念慮。生かされ殺され飛んでいくそんな年ごろ。本当に死ねたものも死ねなかったものもみんなそうだとしたら祝います。それができることです。わたしの生きるです。半端でしか出せない呟きです。はっはっはっ。
正しい正しい。正しいに死ね。相応しいに死ね。それしかないのだから生きるならば。いつか無くなるわたしたちの希死念慮に乾杯。此れだけが誰にも負けないと思い込める武器でした。全く歯がないあほでした。生きるしかないからしかないが溢れて全てどうでもよくなるんでしょう。勝手にしてください。いつか無くなる言葉。そんな言葉に夢中だ。
大切も大事も執着も全てを波に流され海に溶ける。生きるに喪う。だからといって瞬間たる者はただ死んでいく。それぞれの生きるには見当たらない生命をただ全うしていくしかない。そうして生きるに何もかもが焼却されて最後生きるも死ぬに溶ける。全ては集約する。さようならなにもかも。手ぐらいは誰か叩いてくれるさ。多分ね。