卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

生存の午後

一日一文

寝ぼけながらもこなしていく朝の業務への反省を午後行います。
決められたわたしなんて存在しないからただ話し進みそして午後が来たのでしょう。
何かしたいとか思いたいとかこなしていくしかなかった朝に生まれて窓辺で佇んだりトイレの中に篭ったりしていましたが午後は永遠にそれでした。
わたしはわたしに囚われる夕凪の午後。
朝は親がご飯を作ってくれました。午後は自室でとろろんでいます。
誇りを持つことは悪いことじゃありません。
親もまた似たような世界を落ちたり進んだりしたのでしょうがそんな歳月にわたしは足りず駅のベンチで行き来する人を見つめているのが自身だと認めます。
午後わたしは佇んでいた。
朝わたしは悩んでいた。
わたしはよく倒れている人だった。倒れることで日々を経過した。
ベットの上にしかいないならばいつわたしは倒れることができるんだろう。
どうしてその人らは倒れず言葉を含められるんだろう。
それとかあれとか誇りだとか怒りだとか嫉妬だとか不安だとかそんなもので何かを為すというが形式みたいで窓の外をただみていた。
思ったことをただ言って気持ちを表現して傷ついていくのが良い、そう見える。
休むこととか佇むこととかなんでも出来るとか何しても大丈夫とかそんな言葉に気づいているようじゃ親にはなれないね。
午後は外に出てみんな遊べ。
朝はただこなしていけ。
朝わたしは昼前に駅のベンチで行き来する人をみつめていました。
やってくる電車は人を降ろし乗らして通り過ぎました。
わたしは午後の境が訪れると無人の改札を通り過ぎ真っ直ぐと建物に覆われた道を一人こっそりと歩いて行きました。
午後わたしは寝ています。夢の中で何か話しています。
午後知り合いは親になりました。
わたしは出来損ないでしょう。
気づく程度でそこに誇りを持つ程度ならば午後を経過できるのでしょうか。
夜君はいない。
午後親にはなろうとしたならば自身の誇りの素晴らしさとそれでしかいられなかった理由を知り不可と叫ぶだろう。
地球の午後は未開の生物が息を潜めている。
君の才能をわたしは知っている。
言葉の解釈はいつも上手くいかないね。
わたしはただベットで寝て窓から車が通り過ぎる田んぼだらけのせかいを見る午後。
家は取り壊される。
わたしはどこにいくんだろうか。
誇りなど要らない。
ただ生きてそれが嫌ででもそれでしかいられないなんて残酷だね。
嫌なわたしは午後自殺する。
夜のわたしをもし見かけたらそれは他人の空似ですよ。間違いなくね。