卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

確認に至る

一日一文

確かめるため、そう言っていいだろう。素朴なる嘆きは発露に至っても解決には至らない。物事は始まりがあって終わりがある。嘆きは何か自身より幅の違うなにかと遭遇して感じるものだ。現象への答え、そして其処にいる自身との齟齬、それでしかない。
何年間にも渡る自身の生命活動の一幕は一体何処まで続くのであろうか。少なくとも自身の張れる場所とその矮小さ、それに気づいていたわたしの逃避行は次第に終わりへと近づいている。其々が自身の位置とどう闘っているのかはわたしは知らないが私の路は終わりつつある。其れが嫌で薄く弱く沈んだ声をエコーさしていたんだが其れに何ら意味がないことは最初からわかっていた。だからやっていなかった。でもやらないよりやる方がましだから続けようとした。続かなかった物がほとんどなのだがその中で残ったものも在る。それは続けていこう、形は変わってもね。
今書いているのは確認なのである。自身の逃避行で染み付いた路を浮き出しているのだ。解る必要はない。ただ描く麓に彼らを存在させる為その一歩を毎日歩んでいる様なものだ。そして何れそれを以ってなにか形に残したいと逃避行のエンジンたる物を担ってくれた創作物各位の影響で感じるわけである。今の嘆きを発露するのではなくて自身を発露するのだ。自身が築き上げてしまった糸をね、うん。

 

幸せとはなんだろうか。其れに囚われる必要はないのだがその言葉を借りて話したい。
幸せって限りなく表面に近い部分がため息をつきながらでも肯定しているそんな状況のことを云うと思う。今何を思うかが重要なのだ。何を考えて支えられて捕えられていたとしても大いなる肯定で総てを占めることをできていたならば幸福だとは思う。
とは言いつつもやはり幸福について述べるにはまだまだ素朴なる嘆きを残している身分ではあるしこれを完全に消化しきった後に待っている残念で怠惰的で虚無的世界を考えると神経が狂わされるがこう云うところが大きく青臭い、至っていないと言われ思う所であろう。まぁ其処は瞬間ではなんともしようのないところでとにかく時を渡り治癒していく他ないのである(治癒という言葉は傲慢というか不適切であろうが。ただそうであるだけなのにね。
まぁ一端だ。端でしかないね個人は。これはいつまでもだが瞬間の個人が幾多に重なり合い他者には時に多角的な万能なる人に見えるときがあるんだな。其れが面白いなぁ。神秘的だ。人の不思議、世界の不思議だね。

 

まぁ一杯薄やかでも容量微かでも其れが私ではあるしとにかく生きるへの道は限りなく弱いものであったから苦しそうだなぁ、破滅的だなぁっていいご身分な坊ちゃんもどきがいうのもなんだが。やはり其れは来るものであろう。在ったものや無かったもの、それを掬えなかったのはそうせざるを得なかった自身の所為でもあるし其れこそが長年の経験で培われた自身の確かなる位置の視認であろうが其れでも一つ言いたいのである。意思が足りなかったと。私を含んだ私を取り巻く私という意思が足りなかったのだと。何に足りないのか。其れが嫌だったのではないか。そうである。だからこそこういう道を歩んできた。例えくだらなく愚かでもね。そっちが嫌だったからこっちにきた。でもこっちはもっと酷いものが待っているんだよね。せめてものましな世界だからみんなそっちを選ぶんだ。其れは知らんかったが知れるご身分じゃなかったわけだ。落ちていて目の前に在っても認識しようとしなかった。其れじゃその時の自意識が保てないとか色々ね。その時の色々。だから今は今の色々ねやっていかないとね。サボるのは駄目だ。休むのはいいけどね。さじ加減大事に日々を懸命に刹那的にはなり過ぎずやっていくだけですな。はい。

 

 

語ろうとしたら語れないなぁ。ただ綴って表すぐらいしかできないね。視点を提供するぐらいしかできない。其れすらも曖昧ではあるがね。 

 とにかく考える。考えることは留まることを意味するが考えなければ止まるより酷い結果が待っているのだ。だから考える。考えられない所は考えず次に繋げていく。其れをただ進めていく。