卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

向き合って話す

一日一文

どうしてもその流れで闘わなければならない。色々とそうではない、こうすれば良いのにと思って其処に自身を委ねてきたのだがその場所は生きた場所ではなかった。つまり顔を見合わせ言葉を交わしていかなければ会話とはならない。その場で闘うしか道はなかった。
派生した私だ。その場所の端の方で、若しくは離れて空間の狭間で適当に愚痴かため息をついている私。
なんて馬鹿げているかふざけているのか認知できていないのか、実際は解っていたのか。そんなのわからないけれどやっぱりそれは端なのだ。話すならば話す定理がある。其れを充して私の考えたものは充たせるのだろうか。いや違う。其れは聞くものの問題だ。聞くものがどうかしなければならないのだ。私たち、そして私の問題、だった。
別に無理に戦うとか話すとかそんなの構わないのだが。だがね嘆きとか不遇とかね行き着くところまで行ってのそれならある種赦せるがね結局は自身の充しを満たしていなくての物ならなんとかしなければいけないし出来るはずだからね。そうだと思うのだが。こんなの書いていては思っていてはいけないのだがそういうものだからする。しないよりはましだ。
残念とか駄目とかではないが自身の居場所はそこだしだからと云ってそれを自分の場所にするのは違う。ただ生きて生きて、だ。居場所も場所も世界が決める。個人と自身の中でそういう言葉はないのだ。そういうこと。ただそれだけ。
ここだ。ここだ。何もかもここ。この言葉は此処に必要とされる。そういう話。ああ、相応しき言葉たち。君たちは削られ補充されそして充たされていく。そういうことだ。どういうことだ?