卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

二年振りに甲子園にいく

一日一文

 

ここ最近は自身に張ったテープが擦り切れたかのようにぼぉーと呆けた日々を過ごしている。世界は私に侵入せずプロ野球と其れに関連する動画集を眺める以外は寝ているだけな日常。
外を歩いていて焦燥感を放り投げれば君は無敵だ。直ぐ明日ナイフで胸を切り裂かれようとも。
僕は無敵なのか? して明日喰らうナイフの味は如何であろう。感覚はその時気づくに値するのであろうか。

自分が得たと思い込む道を確かとしてなにかをするってありだろうね。して全く正反対な事実に迎えられて僕が発狂してもなにも問題ない。なにか悪いことが起こるのかい。何もかも一緒なのに何故そんなに痛みを表示するんだ。やっぱり君の思い込みが激しいせいかな。そんなものなかったのにねぇ。いつからそうなったんだろう。

 

 

「よっこはまー、べぇいすたぁーずぅーー」
昨日は二年振りにプロ野球を観に現地甲子園に行きました。プロ野球と云えば石がただ積み上げられたものが名物な辺りに棲息するものには甲子園か京セラドームであります(其れ以外の選択肢はお金と時間が掛かるので日々には似合いません。
して五年振りの弟を携えていましたので残念ながら至って普通のレフトスタンドで観戦。指を咥えて応援する横浜のお人を羨ましく思う私。小声で応援歌を歌い膝を叩いて試合を見守ります。
先発は井納と藤浪。いい試合を引き当てました。もし今日投げたクライン様のゲームだったならばと考えると冷や汗が出てきますね。
まぁ内容はいいでしょう。其れまで時々強くなれどその時は吹き荒れてなどいなかった浜風が如何してかあの瞬間急に吹き荒れてレフトの彼が悲しい追い方をして横浜は勝利を迎えました。やったね。
っていいますがほぼ毎回テレビで観戦するものには試合がどうとか関係ありません。どっちかっていうとプレーする彼らの横顔とか球場の雰囲気を楽しむことが一番の目的です。楽し楽しがあるからこそ一時間半も電車に揺られて安くて二千円程のお通し代を払って球場に入るのです。そうでしょう?
さて楽し楽しとはなんなんでしょう「球場を訪れてこそ通なのさ。当たり前さ」みたいな感じなのかな。違う。現場さ。彼らはテレビの中でプレーしているのではない。そこでやっているのだ。
まぁ球場で見るとテレビとは違う部分で寛容になれますよね。やっぱり暑い中ぼーと学校のグラウンドで打撃練習を繰り広げるチームのボール拾い、その延長線上に彼らがいるんだなぁと思うと。
最近っていうか安心が為っていうか考えますね。延長線上。やっぱり人間は大きな観点から見れば何も変わってなどいません。ただ積み上げられてまるでふと出会えればびっくりな彼が其処にはいるのでしょうが。でもやっぱりただ積み上げれているだけで何も変わってなどいないのでしょう。そうは感じたいと私は考えております。
して試合前にグラウンドを走ったり歩いたりする彼らは同じ空間にいる。試合が始まっても勿論だ。不思議だ。皆それぞれ観客に値するものは自己それぞれのスタイルで其処にいてその中を彼らは走り回っている。なんというか不思議だなぁと一言で括るにはおしい風景が其処にはあります。やっぱり奇妙なんだよなぁ。其れでも普通なんだよなぁ。髪の毛染めたちょんちょん飛んでそうな女性が横浜のユニフォームを着込んでいたりゲーム機を携えた小学生が応援するチームは違えれど席を共にしていたり初回攻撃時に手を前に挙げて歌い出すファンの姿を見て「変な光景」という大学生達がいたりと其れでもつつがなく時間が経っていき自宅に向かって長蛇の列に加わっても怒りの叫声を挙げる集団など生まれないという普通さ。そこである一人の男性が言っておりました。「こんなに生活に取り込んでいるってなかなかなことだ」。そうです。これは当たり前じゃないんです。何百年前にはなかったことなのです。何も不思議には思いませんがここ甲子園を始め幾多の球場で繰り広げられる日々は人が成し遂げたことです。何もない所から積み上げて積み上げてこんな風景を人は見ることができるのです。不思議です。そして感心です。みんなそうなのです。当たり前なんてなくて当たり前にいつの間にかなる程積み上げたものがそこにはあるのです。いいなぁーとか羨ましいとかいうけれどそれだけの事をわたしがしたかというとNO。見に染みてわからんといけんですね。其れらのことは。

という感じで今度はビジター応援席で観れたらいいなと思います。とにかく座って試合が過ぎて終わり帰っていきます。私にはそれだけの事があっただけです。でも何故か、僕には偶にだけど、それが日々かなと感じます。毎日はテレビだがね。はい。