卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

尊厳を傷つける行為であることを自覚しなければならない。

シムーン

ペラペラお話をするわけでもないしだからこそ其処にただ置き去りにしていつしか忘れてしまう。そんな場所でしかないって何もかも放ったらかしなんですよね。


シムーンを見た。
自身との遠さをただ感じてしまう瞬間ではあった。
偏見とか自身の土地から幾ら離れて感じようとしても結局は変わってないじゃんって思うね。
やっぱり積み上げてとか生きてきてとかそういうものが違うっていうのは余りにも遠すぎるお話で君に至るまでの突破が多いほどただ其処にある模型みたいに見つめて考えでもしないと自分の張りを維持するので手一杯で何を得ることもできないね。
私を魅せるならばどれだけ自分の論理を先行してこじ開けられるかが重要視される。
やっぱり最初の位置からは離れられないね。遠すぎるお話だよ。ただ自分が其処にいるってことだけが再確認される。


やはり自分の張りをただ続ける私であるのでその観点で綴らせて頂こう。
シムーンは良かった。自分はそう思う。
やはりモラトリアム。その新しい観点と出会えたこと。
永遠の少女
ちょっくら調べるとユングさんやら何やらの感じとも関連しておられる。
永遠の少年だって。要は拒否することではあるのだが。其々色々な感じで永遠になっちまう訳だが。
シムーンで生きる彼女たちの中でその役割を得たのはアーエルさんとネヴィリルさん。
彼女たちは他のメンバーが既存のそう成るしかないという選択肢とは違う踊り続けるという選択を行なった。
それ自体は僕にはぼんやりと知っているお話ではあるんだけど。
それに対する廻りの見解が驚きでした。そういう見方もあるんだって。
その見解を魅せたコール・テンペストのメンバーは作品内一般的人々と同じく性的選択という儀礼を果たす。
その儀礼シムーンで最初に魅せられた時には逡巡の果てに結局絶えさせられた可能性の慟哭が胸を突かれた。

シムーンという世界では17歳で性を選択するまで男という種はいない。更に其処を越えても彼女たちの声であったり佇まいは男いうものを感じさせない(少なくとも見ることのできた部分ではね。
性的なもので世界は覆われていない。ただ自身がどうしたいとかどうしなければいけないという種々の選択が何もかもを決めていく。
自由だ。自由ではあるが。結局は何を選択しようとしても自分に纏わるルーツと覆う環境と自分自身の強さがどうしようもなくそれでしかいられないものを提示する。
選択の果てに存在するものは確かさでしかない。其処にいるものは生きていて誰しもがどんな道を選んでも立っていて決して諦めとか逃げだとかだけで覆われることはない。最初はそうだとしてもね。
結局性別選択することが一番強く齟齬がなく他の道はあってないもんでふざけた道かもしれないが、必要なことなんです。

必要


コール・テンペストのメンバーがアーエルさんとネヴィリルさんに託したこと。永遠の少女としてあの時描いた私たちの逡巡が確かだと述べて欲しいと。そういう思いが大切だって、捨てるとか離れるとかそんなことを選ぶんじゃない。私たちの大切なそのとき、それを永遠に背負って生きていきたかった。けれどその思い、それをあなた達に預ける。こうでしかいられないしいたくなっていく私たちの代わりに託した。永遠の少女へ託した。


逃げとか逸らしとかっていう観点が強すぎた私であった。結局生きていくならばそれが果てるものであったとしても進むならば考え続けなければならないし生き続けなければならない。死ねば存在せぬ。生きている限り結局は同じ強さが波をうってくる。風化が酷い。そして奇跡的空間の狭間で灯火を燃やし続ける人という存在はもっと大きな意思のもと大きく風化し一瞬で消滅しても不思議ではない存在。その人間を更に潜っていっても存在する個人の感覚。其れはどう足掻いてもただの煌めきは瞬時に失うのは当然。ならばならばどうするかなんて別に構わんよね。
託された。託した。そういう存在が生きている理由。私もまた自分自身に託したのだ。色々な想いと考えを明日生きていくために私自身に託した。だから否定するな。否定は駄目だ。想いを発露したならば否定するな。キスをしたならば裸にしたならば何もかも否定には値せぬ。悪いとか駄目だとかっていうよたれた行為に追随するな。其れは著しく世界の尊厳を傷つける行為なのだから。


忘れてましたね。自分の観点、否定の観点に寄りすぎですね。まぁそうせざるを得ない事情が色々重なりあったと思うわけですが其れでも酷いって言いますね。
自分であり周りであり少なくともなにかそうなるべきだと理解したからこそここに至ったわけなんですから。
シムーン。気づかせてくれた君。あのときやそういう時期を生きている彼ら達だけではない。例え其れがもう御伽噺の世界であったとしてもそれ自体を忘れてしまっても、託したからこそ何とか越えることのできない境界をまるで突破できたみたいに思い込めて進むことができた。其処に至れば其れに成り切っていつの間にかあの時のことなんて忘れちまってしまうけれど。それでもそれがなければ無理だったんだ。


大切にしなければいけない。否定なんていけない。自分が選んだ道は何かにとっての確かであったんだ。奢ることもなく否定することもなくただ在って示し続けるしかない。それしかないでしょ。逃げるか逸らすかそんな私でしかないけれどそう思います。例えどうなったとしても在るのならば示すしかありません。そう思いますね、はい。

 

まぁ何で在っても考えさせられたり思ったりします。其処がその場所を著しく否定するもので在っても確かで在るならば哀しくもどうすることもできない、述べない離れるそして忘れるっていうものに至るわけです。
まぁでもそうして自分の張りをどんどん記憶していって自分そのものがもうどうしようもない概念に至った時大人になるんじゃないか。私はそう思います。
越えたとき、慟哭したとき、そのときから大人の始まりならば私はもう大人です。越えちゃいました。
それでもぐじぐじ言葉を吐き続けたり否定し続けたり逃れたり。変わったようで何も変わっちゃいない。自分の行為の尊さを否定しようと躍起になっています。
それもまた必要なことでしょうし、戦後処理みたいな形かなって感じますけれどそうやって夏は終わり秋が来て冬が来て春が来る。次の春は新しいランドセルを背負った幼子や使い古したカバンを背負い怠そうに歩く女の子を懐かしく見てしまう、そんな春かな。
まぁ出会う縁と出会うしかなかった道。何を託し背負い受け止めるかなんて言葉にし易い部分も出来ない部分もある訳ですけれどそれは全て大切なもの。その時にしか置いていない言葉も忘れてしまっても大切だ。なかったのならば全くもって別の世界にいっちまったんだろうから。
シムーンでも色々感じ思った訳ですけれど今発露できる一つの要素は今書いたことです。永遠の少女。大人になることを選んだものは其々に生きて考え大切にしている。その尊厳を護ってくれる存在。例え如何であるにしてもそれがなければ立ってなどいられなかった。だから必要だ。ないことなんてあり得ない。人がある為の必然。その一つが永遠の少女


まぁしかと今を生きるだけですね結局は。如何であれって部分は廻りが決めちゃうんですから。自分はとにかく自分の路線を描いていくしかないって、其れしか出来んし。まぁやるだけ。如何見られるっていうかっていうのは其処からのお話。そしてまた仕方ないからね。でもうん。尊厳は大切だ。傷つけてはいけない部分まで傷つけていたかもね。其れを教えてくれたシムーン並びにスタッフ陣に謝謝。