卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

純粋な、自分

一日一文

落とされていく言葉に乗らなかったことを選択したりしなかったり。今となってはというお話で結局いつも選ぶ言葉は身勝手な今です。勝手にお話作って滝と共に水面にドボンです。
何を云うか何で在るのかって選択したつもりだったり乗っていったり。もうどうしようもないとかどうとでも出来るとか何もかもが何にでもできてそうでもない。そう云うことを考えるのって無駄なのでしょう。とにかく流されていくのか乗っているのか、全て古典的機械的なものとして生きることは嫌だから勝手にして生きていきたいと願う、願い、そうなっていく人たち。そうして遠目で上手く廻っていく世界。


嘗ての幼子だった私は所謂大人という輩が話す言葉に影響されたりされなかったり。全部そういうものであってもなかったとしても余りに意味のないお話。それなのに考えたり考えなかったり。全てはその時でしかなくてあの時に保存されていて今はただ今でしかなく過去もまたただの道具だったり一面だったり、そういうもの? さあね。解ることは感情だけだ。今のね。其れを摘み上げて語ることはぐにゃぐにゃに絡んでしまってわからんがね。

そういう事を踏まえて今浮かぶその場所(その時其々な身勝手な指定)に立つ為に必要な張りってお話。色々な場所だとか存在だとか在っても本当に解らない。解ろうとしていないから問題ないじゃない。そうしてお話を終えるわたしってやつ。

やさしい人だとか寛容のある人だとかそんなお言葉でどうやって生きていられんだろうか。誰かがいたり護ってくれたり隠れているから出来るだけじゃないか。駄目だ、駄目駄目だ。そんな事を言いたい時分。言わなくなったり必要がなくなったりそうしていくまで思い考えて寿命を果たす。そんな言葉がいっぱいだったね。

 


三びきのコブタのほんとうの話って絵本を読みました。内容は三匹の子豚っていう世間に浸透した話を狼さんが弁明するってやつ。お話の発端となった狼さんの子豚ぺろり事件を別に悪くないじゃん、誰でもやっちゃう事だとお話しするんだけど、うん。まぁ世間だとか社会だとか色々を省みた上で悪いって言うやつだってだけ。ただの純粋な行為が世界的だったり他者的には通せない行為な訳で悪いにするしかないのさ。哀れ? 解らんが、今はそうしか言えない。
屁理屈って言うけれど、そうでしかないけれど、其れぐらいしか話せることはない。だって純粋な行為は悪にしかならないのだから彼のせめてもの行為。哀れな子羊とかそういう言葉を与える他ない。

 

考えずに生きていかなければ言葉は意味を持たない。元の元の自分ってやつ。純粋な、自分。
そんなもの信じられない、信じてしまうと悪いことしか起きないんじゃないかって考えたり思ったりだから屁理屈の身分がお似合いさ。無理にお話なんてしなくてもいいのにね。でも其れが嫌だとか、駄目だとか勝手に思い込む時分。まぁそんなわたしね。