卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

自己形成

一日一文

 

まぁ何もしていないわけではない。変な言い分とか思い込みで逃避。現実に意識を張り巡らすことが必要か。必要ならば勝手になるでしょう。だから意識しなくていい←結構切迫。そうやって対処できないものにそうらしきでやり過ごす人。って初めは出来ていた完璧みたいな其れとは違うけどそういう意識の元でこの考えもまた立脚されている。そういう積み立てかた。これが私の生きかただから他人の積み上げた昔が気に食わぬものを孕んでいたらきみわるいとかなんか嫌だとは思っちゃう←此れもまた当たり前かね?
これ以外の立脚は存在する? 今を生きてどんどん私を積み上げて傍目には自己形成、私はただ今の連続ってやつ。知らないね。どうなんだろうね。どこかの為の言葉。

想い返してみましょう。
巡らした意識を振り返りましょう。
託してなった、埋まったものはなに?
寂しさとか至らなさとかないものはなくて、なにかで埋めた。忘れる為、なくす為。
そういう普遍的生活。


生きていることを知って、明日へと運ばれる舟に乗って、舟のなかは飢餓に包まれて、其れでもそこで生きていくしかなくて、そうして全てを使い切って私は骨になり、舟は沈む。


そういうもの?

 


張り巡らした私と廻りの意識、その解釈。何度も何度も修正、破壊に出会い超越していつの間にか傍目にはまるで違う私がそこにいる。
「それはたこのよう」
そんな形の私のこれまで。今の意識でお話しすると今足りていない領域、必要な領域だけ取り出されて講じられる。全く便利な時代になったものだ。
「いつも今にしかなかったね」
張り巡らした思い込みとか実感とか様々があったけれど文字通りな現実があったわけではない。でも確か。何もかもを考慮した上で確かでしかなかった。言葉で語ろうとしてはそれは掬い落とす。ただ其処にあることこそが現実であったのだから。言葉は尖りすぎている。並べてお茶を濁す他ない。
そういう今っていう様々を何度も更新した結果、傍目の人間が出来上がる。別に今だけど。今しか話せませんけれど。残っていますから。全く違いますから。だから私らしさ。