卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

倉本寿彦の心意気

プロ野球

 「良い成績残したら応援歌使っても良いよ」
シーズン前嘗ての背番号5にそう言われた男は昨年141試合に出場し後もう少しで大台の打率3割に到達する所までの結果を残した。遊撃手。横浜の遊撃手。グラウンドに立ち続ける男は頼もしかった。
嘗ての背番号5。数少ない横浜という球団が輝いた1998年その遊撃手。現在広島のベンチからグラウンドを見つめるその男は今の彼を見て何を感じているのだろうか。
二つある彼の応援歌の1代目を流用されている男は苦しんでいる。打撃は打順を投手の後ろに廻される程の冴えのなさ、遊撃の守備につくと打球が飛べばいちいちはらはらしなければならない程の不安定な守備を展開する。其れにも関わらず彼は此処まで一度もバックスクリーンから名前を消したことはない。余りにも与えられたポジジョンをこなしていく力はないのにだ。
横浜の遊撃手。嘗ての背番号5が抜けてからの横浜と云う球団の遊撃手というポジションは受難の歴史だ。石川雄洋藤田一也渡辺直人梶谷隆幸山崎憲晴白崎浩之松井飛雄馬倉本寿彦。幾多の遊撃手候補から一軍のグラウンドに立った男たちは皆其々の時を得て違うポジションに移っていく。セカンドサード外野手果てにはトレードという経歴。歴戦をこなし栄光とともに別のポジションに移るところまでに至ることなく遊撃手失格の烙印を押されて。
歴戦の試合を経て今もまだ横浜と云う球団を応援し続けるファンと違い2013年と云うDeNAベイスターズとして大きく開港したとも云うべき年から応援し続ける私には知らないこと。2003年小学生一年生の時に父に連れられ甲子園にプロ野球の試合を観に行ってから始まったプロ野球との縁。2007,8年から少しずつ本格的にプロ野球を観るためにテレビに向かい始めた私。つまりは横浜の石井琢朗を僕はほとんど知らないのだ。石井琢朗と云う名選手は老獪なる一選手として広島で力を示していた。当時は阪神タイガースを応援していた私の記憶に横浜の遊撃手に名前はない。横浜と云えば村田内川吉村金城そして弱い、であった。
2013年。開幕当初横浜の遊撃手は当時のキャプテン石川雄洋。アレックスラミレスのアドバイスにより生まれた決まりに決まったオープンスタンスは正に切り込み隊長。頼れる男だった。格好良かった。中村紀洋であったり中畑清であったりその他様々な要因で次第に横浜に惹かれつつあった僕にとって石川雄洋という選手もまた決定的な選手なのであった。
その石川雄洋ではあったのだが徐々に開幕当初に感じた精悍さは失われ怠慢プレーとも言うべき態度が目立つようになりタケタケステップとも揶揄された送球難等を考慮しポジションチェンジ。セカンドになった彼がその後ショートのポジションに就いたのは指を数えるほどであると記憶している(一回か二回延長戦で足りなくなった所に入った記憶があるけど定かではない。
その空いたポジションに入ったのが山崎憲晴と梶谷隆幸であった。山崎憲晴は側からみると全く何の良さもない選手にみえるのだがいざ試合を観続けると応援したくなる堅実さと勝負強さ。この年までは2009年ルーキー三選手開幕抜擢の一選手としてしか認識してない地味な選手なのだったが交流戦で魅せたんだなぁ。満塁で日ハムのサイレントKから決勝の前進守備の外野を切り裂く一打。気持ちよかったなぁ。次のソフトバンク戦でも飛んでびっくり玉手箱な引っ張りホームラン打ってハマののりさんとか言ってたなぁ。一方の梶谷は2012年に中畑監督に期待されてオープン戦で結果残して開幕戦にて応援歌も作られる期待度なんだったけれど全く通用しなくて其れでも使われ続けてかなり苦しい想いした選手だったんだけどこの年にブレイクした。ただの足が速いだけの非力な野手がホームランバッターになっちまったんだ。凄まじい活躍。その前にちょうちょだとか座禅だとか金城晒し上げ走塁とかぎっくり腰だとか色々あった末からのこれ。破壊力抜群の遊撃手が此処に誕生した。そうファンは思ってワクワクしていたんだけど彼はシーズン終了後の教育試合でレフトを守っていた。来季からは外野手。その凄まじいバッティングを遊撃手という過酷なポジションでこなすのは厳しいと判断された上でのことだ。そうして梶谷隆幸という凄まじいハマの嵐は一年で遊撃手を去った。遊撃手は守れてこそのポジションであるから夢はまだ遠い話だったのだ。打てる遊撃手より先に守れる遊撃手を。其れこそが命題だったのかもしれない。
2014年。この年は白崎浩之と山崎憲晴の年。白崎はドラフト一位。DeNA体制としての最初の指名選手は彼だった(前年はTBS体制による指名。大型遊撃手。二岡みたいな選手になればいいなぁと心に思うも致命的なエラーや得点圏で簡単に片付けられる姿が常だった。彼と同じ駒沢大学出身の中畑清監督からはおぼっちゃんと呼ばれていて余り良い印象を残すことは出来ていなかった。その彼を後輩に持つ山崎憲晴は輝いていたのだろうか。様々な点で力が不足していても何とか知恵と機転でカバーし続けていた憲晴。ボールを飛ばせなければ右に打てば良いし送りバントに徹すればいいし肩が弱ければ投げるのを早くすればいい。其れを実行していた選手だった。途中加入した2014ハマの嵐グリエルが来ると急遽仕上げたスペイン語でなんとか彼のコミュニケーションを取ろうとするなど何とか自分のポジションを確保しようと必死であった。第三捕手も機会はなかったけれど準備はしていたしね。この時の内野は遊撃手以外助っ人って事態もあって遊撃手だけが守備の頼りだったのだ。もう既にめちゃくちゃと言えどそのポジションだけでも保たなければ本当に更に酷いことになるのだから。そのポジションを一軍の経験などまだない出てきて二年目の中堅選手と右も左も分からないまだまだプロとは言えない二年目の大卒選手に任せるしかないなんて顔から血の気がなくなる所業だがそうせざるを得ない歴史を経てきたのだ。仕方がなかった。
2015年。倉本白崎飛雄馬の年。あれ山崎憲晴さんは何処にと思ってしまうのだが彼は一昨年去年と耐えに耐えたきつい二年で力を使い果たしたのかオープン戦から打つ打球は波打ちボテボテ転がる辺りしか打てなくなっていた。彼は日替わりショートの一員に入ることなくベンチの肥やしとしてメンバーの支えと云うお題目の元試合にはほとんど出場せずに前半戦横浜奇跡の優勝の立役者になった(のかもしれない。しかし気になることは気になるんです。どうしてこの年の憲晴さんはあれ程までに力尽きていたのか。体力の面か意識の面か。力がなかったというのは簡単なのですがやはり遠い身分の一ファンとしては当時のオフ並びにキャンプの憲晴さんが何を意識してプレーしていたのかは気になります。閑話休題。2015年は見事なるいい夢を見て完全燃焼と云う年。遊撃手はまだ頼れる部類であった山崎憲晴さんが年を跨げず2014年そして琢朗後の横浜の遊撃手に有りがちな頼れるベテランと共に明日の遊撃手が試合を経験するなんて夢の話まだ力不足な若手で何とか試合を凌いでいく苦しい台所事情のもとシーズンを過ごしては消えていく、永遠と遊撃手が生まれないのじゃないかと夢想する日々。キャンプでは小久保監督に褒められネット記事では門田打法の後継者現れると期待された横浜高校出身の守備の上手い(スカウト評価)遊撃手倉本寿彦は2015開幕からスタメンを張りました。試合を出る毎に彼はクローズの姿勢から投手が足を上げたと同時に足と共に腰に体重を巻き込んで放たれたボールに一気に打つける打法を続けていたのですがこれが見事に空振り。当たってもぶれた目線の元ぶれたバットが折れてその残骸と共にへなへなの打球が良くセカンドへと飛んでいきました。打率はどれほどだったのか。まぁ酷いもんでした。評価の高かった守備の方なんですが憲晴さんより肩が強い、強いぞとほんの少しだけ興奮した記憶があります(白崎も強いんですがね。守備は最初の方は下手となんて思ったことはないのですが…。まぁって感じです。最終戦高橋尚成の引退登板でちょっと横に飛んだ打球に見事な守備を見せたことだけは覚えています。まぁバテたんですね。体力不足。大型選手として一年目から期待されていたわけでもない即戦力の堅実な選手の話を最初にしなければならないこの年の遊撃手はカオスです。因みに倉本選手の遊撃手としてのスタメンは六十五試合だそう。翌年の兆しはありました。足を上げては空振りまたはバットを折ってセカンドゴロ。そんなバッティングフォームから主張を変えて2015年の前半に起きた快進撃に乗せられ優勝を期待して居た満員のファンが悲しそうに見つめるバッターボックスで足を上げずに反対方向に流し打つ。まだぎこちないそのフォームで幾らかのヒットを稼いでおりました。この時は本当に薄やかなものでしたがこの決断が来年に繋がるわけですね。後は白崎と飛雄馬なのですが。白崎はこの年として何か語ろうとすると何も話せません。彼には期待も期待、将来の主軸を期待していたのですからこの年はこんなことをして良かったみたいな所まで行った年かと考えると2015年はそう云う年じゃ有りません。翌年は兆しを見せるだけは見せたのですがね。遊撃手としてではないんですけどね。其れはあまり関係ありません。キャンプを完走できない年。怪我をする年。この年はどうだったのだったかな。肉離れ。怪我をしないことが一番の名選手です。怪我をしたら駄目だ。どんなチャンスも逃げてしまう。松井飛雄馬は中畑監督に声の良く出るムードメーカーだと可愛がれていましたね。筋肉質の身体と少し足の閉じたクローズスタンスから放たれる打球は良いと云う形容詞が似合います。ただやはり守備面では細かい動きが苦手であったり打撃もまた大きく羽ばたける所まで魅せられなかったと云うことが言えます。ショートとしてはやはり厳しいかという一言。
2016年。白崎浩之はサードへ。松井飛雄馬セカンドへ。山崎憲晴は膝を壊し姿を消して残った選手は倉本寿彦ただ一人。ドラフトで加入した柴田、開幕二遊間はこの二人。本当に開幕当初は厳しいなんてもんじゃない。他のポジションも壊滅していてどうしようもなかった。その中で倉本は飛び出してきたわけです。生え抜き若手ドングリーズの中から出てきたのです。守備範囲は狭く送球は雑、打つにはボールは選べず、されど目の前の打球は確実に処理、バッティングはとにかくバットを振ってヒットを打てば問題がない、他の所々問題には目を瞑る方針で何とかやりました。3割近い成績を残したこと。この事自体が2016年の四月までの倉本を見ていては想像できないことでした。翌年行われたWBC代表には記事にて交代選手の候補に名が上がるほど成長しました。嘗ての背番号5も遂に横浜に遊撃手が現れたなと言いました。少なくとも恥に思わないまともな遊撃手が2016年のショットストップを守り続けました。
そして2017年。横浜の遊撃手は倉本寿彦ただ一人。想定こそすれど監督の口から日々遊撃手は誰にするなんて話出てきません。彼はレギュラー。レギュラーは日々をこなせば外すことはない。2016年初年度様々な点で苦しんだラミレス監督が耐えて得た一つの経験、その象徴的な場面はホセロペスの極度の不振に耐えて耐えて耐え凌いでその結果彼は横浜ベイスターズ10年越しのAクラスその要因になったこと。あの夏ロペスを如何して外さないのかと問われたラミレス監督はこう云う意趣の言葉を話していました。彼が下を向かない限り外さないと。力のある選手だと解っているからスランプを乗り切れることはわかっている。後は其れでも起用し続けようとする要因。其れこそが下を向かずやることをやれているか。バットをしっかり振りベースに向かって走ってグローブを手に嵌めてグラウンドに立ち続けられるかどうか。日々をこなすこと。此れが出来る選手だからこそレギュラーの資格を持っているのです。2016年大きく躍動した倉本は同じく桑原と共に開幕当初から不振に喘いでいました。其れでも彼らは一度もスコアボードから名前を消すことなく試合に出続けています(桑原はもうどうしようもない自打球により一度だけグラウンドから降りましたが翌試合では嘘のようにグラウンドにでていました。その何よりの理由が彼らがレギュラーであること。其れに他ならない、そうラミレス監督は言います。余りにも打てなさ過ぎて九番で打たさなければ打順が上手く回らない程までになった倉本に一体どれほどの価値があるのか。守備は横も前もこなせず毎日何かしらエラーに値するプレーを展開。打撃は本来ヒットを打つからこそ価値のあったスタイルも2割前半をうろうろしていては全く価値がありません。此れではレギュラーとは言えない。2016年のとにかくバットを振ってヒットを稼ぐ打法と横は追いつけず送球も良くなくとも自分の取れる打球だけはしっかり取ると云う守備があってこそのレギュラーの価値でした。今の倉本が占めるレギュラーの価値は2016年とは全く違った意味合いになっています。とにかくグラウンドに立ち毎日日々をこなしている。その事によって今まで背番号5後の横浜で繰り返されてきた遊撃手不在による様々な弊害が防げている。そう云う本当の意味で最低限になってしまっています。此れではプロのレギュラーは与えられないと言いたいところなのですが…。
遊撃手不在による様々な弊害。大きくレギュラーを示すことが出来ていないものの試合には出続けることが出来る倉本が居ないならばどうなるかというと一昨年までの状況になってしまいます。首脳陣も選手も全ての機能が毎日どの試合も練習も移動中も空いたポジションをどう上手く回すのかという事に気を回して相手にどうすれば勝てるのか、どういうプレーをすれば良い結果が出るのかというところまで意識が回りません。誰かを使えばより良い結果が出る、その袋小路な考えを延々と果たしている間にシーズンは終わり結果はBクラスが良いほうと残念な現実が待っている。そんな話はほんの少しピントが外れただけで待っている話。
あらゆる数字、印象が倉本に対して厳しいものを語って居ます。たった一人で遊撃手を張り続けるということ。石井琢朗が横浜を去った後何人もの候補生が挑戦し敗れ去ったポジション。そのポジションを埋めるものは現れるのだろうか。生粋の横浜ファンではない私も考えてしまいます。再燃です。レギュラー選手はいるというのにです。そういう現状なのです。覆して欲しい。昨年の如くとにかく結果を残し続けること。其れこそが倉本寿彦という選手の一番の特徴だと私は思って居ます。高校大学社会人とそう他と比べて際立つ選手ではなかった地味な選手がプロのレギュラーと云う檜舞台に上がってこられた一番の理由。倉本の武器。もう一度応援歌に挑戦して欲しい。皆んな忘れた夢の話。黒い歴史になる前に結果を残し続けて其処にもいつしか届いているように。だって倉本寿彦がグラウンドに立ち続けているんだから。よたれて結果が出ず倒れそうになりながらもたった一人で遊撃手と云うポジションを切り盛りし続ける限りはとにかくより良い結果が出ることを望むしかない。バテバテになりながらもその中で大きく糧にして明日に繋げていく、それこそが実力が足りぬ選手の務めで其れをなんとかやってこれた選手だけがグラウンドに立ち続ける事を許されるのです。倉本寿彦。彼は今シーズン耐える事が出来るのか。また今までの候補生と同じく道を逸らしてしまうのか。能力のない選手は兎に角結果を残し続けるしかないという荊の道。何とか誰かが達成できる事を待つ他ない。そして今の横浜の遊撃手は彼一人しかいませんから其の期待を彼に望む事になります。2017年。今後の横浜の遊撃手の道はどうなるのか。何とか耐え凌いで明日に繋いで欲しいと云うのが私の気持ちです。チームが厚くならないとどうにかなるものもなりませんから。