卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

属:篭りがち

一日一文

 

家の外へと拒絶することなく引き摺られていたとき偏頭痛とも云うべき頭の痛みや猛烈な睡眠への欲や足や腰への慢性的な痛みや夏にぼーとした意識を患っていたことを外をてくてくだるだる歩いていたときに思い出す。睡眠以外は今となっては失われた感覚。でもあれは成長痛と呼ばれるものであったり外へといくものの副作用とも云うべきものだったのか。家に篭りがちな私には解ることもなく思い出すこともなく。時たまな嘗ての私の要素とも云うべき存在に出会ったときにだけ今みたいに何かに残していくことになる。
父や母や祖母や祖父や家や木や川や鳥の街の村の意識を私と云う存在が見解。見解した答えが今の私。その私を様々が見解しその上で私は修正。なにをしたいの? ただ在るだけ。なにもしない。寝ている。天井をみつめている。焦燥感。適当にお茶を濁し始める。そんな展開の繰り返し。生きる。生きるとは? もっと昔、今より積み上げられていない私という意識が存在しないときならば生きるに耐えられぬ。違うんだよね。私は私としての行動で接せられた者たちを解釈し影響しあいこんなかたちになった。もし違う時代でもその周りの者たちと関連しあって定まっていく。だからそんな時代の話は無用だろう。今を考えるべきだ。接して関連してその上で様々が薄い殻なる私でも、その私として今できる場所をやっていくべきだ。そうでなくとも篭りがちな私であるのだから。

 

〈この思考は振りである。格好だけである。だから角度を変えると笑えるかたち〉

 


自分っていうのは篭るみたいなもの。ただわたしとしての確かさは下手なるおちゃらけ人間。眠って考えなくてぼーとしている存在。だから基本的に其れ以外の行動を成していくときは存在するための振りなんです。篭れなさそうに認知したときに湧き出る生存本能なんです。そして少しでも大丈夫と認識したら直ぐに倒れて寝転ぶかたちなんです。だからまぁ、篭るこそが私なんだと思いますよ?
ぐーぐー寝て。ぐーぐー笑って。そんだけか。そんだけだ。だからただ適当に言葉を吐いて逃げて寝転び端にて息を吸っているかたちが私なんです。おそらく、ね。

嘘をつかなきゃ生きていけない。嘘をつかなければならない理由がある。実行した嘘と実行しなかった嘘。嘘を思い返してみれば私という人種が更に解るかもしれない。そんなことしなくとも瞬間の私が凄まじく私というものを定義付けながら歩いてきたんだけどね。