卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

〈活動〉する為に

一文

名前とか法則だとか当たり前とか色々な属種がひしめく世界だろうけれど。まぁ人それぞれの観点で話にするには余りに拘り篭り過ぎている話ではあるのだが。人の名前だとか性格だとか様々なただあるものに囚われていたらその先へといけない。普通に活動することが出来ない。此れは認識せずとも考えなくとも解る話であろうが、自身もまたあるものにはそういう態度を取れてはいるのだろうが。認識できて今もまだ引きずっていたり思い出すことの出来る領域の君たちを論ずるとそう云う話になってしまう。
やはりそう云う活動するにはくだらない識別に囚われて色々活動してしまう私ならば結局下手に其れと共に生きる他ない私であったと云うことであろう。機械だとか歯車だとかそう云う言葉を使い社会に反発心を抱える私はその小ささで自らその領域に生きようと篭っていくわけだ。名前だとか法則だとか当たり前の性質に震えて言葉を洩らした。そうならざるを得なかった私であるのだからその意味の重要性を支える他ないのであろう。生きるの中で活動する誰かの為に。

 

 

最近は今まで育んでいた〈歪んだ思考の進行〉を〈最初の感情〉の器へと入り込める思考作業に没頭している。没頭と云う言葉は似合わないけれどそれ以外に嵌めこめる言葉がなかったから没頭と書き込んだ。こんな感じの言葉は示め現したい文章の意味には似合わないけれどそれが今の私であるので書く。とにかく文章の上では自分に誠実でありたいしならなければならない。そう考える私なので現れた正しさを確かに示してはいきたい。勿論会話として浮かんだ言葉を示すって話。下手な会話に当てはまらぬ言葉は誠実さには当てはまらない。そう認識している。
こう云うことを書いていると一体何を書きたかったのかを忘れるかたちではあるから此れは難儀だなぁと感じる。私の中で自己的に始める文章は何か世間一般的な意味合いの〈美しい〉ではない美しい、つまり美意識ってやつで形付き残ったものを世間一般に表出したいと考えだからこそ発現したものだ。美意識。この言葉を使うものが表す美ってやつの情の域が苦手だった。そう云うものに吊られて言葉自体を観なくなるかたちではあるから美意識って言葉は封印していたのだけど。最近の自分自身の様々な審査でみたところによると自分もまた美意識ってもので言葉や様々をよりどりみどり選択して生きているんだなぁと気づいた。美意識って言葉は僕は少々感じにくいきらびやかな赤い熱い血が滑らかにメッキ加工されて呼吸していないイメージを抱いているのだが様々な言葉の中で表出する美意識って言葉の位置はそうなのであろう。残念ながら美意識が埋まっている世界の構成とかたちが生存する世界の構造が違いますので美意識って言葉、その呼吸を加工して使わせて頂きます。美意識。其れで私は生きている。
また話が下手な方向に進んでいったのだけど、難儀なものってそう云うこと。私の表したい言葉と文章を運営するに辺り必要な言葉が沢山必要問題。
自分自身の言葉は活動しない。言葉はただ生きている上に表出するだけのものだ。反応なのだ。言葉を魅せるためには文章だとか人ってやつが必要になる。物だとか現象を目や耳や鼻や肌に通さなければならない。言葉を発現するために確かな生命を活動させなければならない。
なにかがおかしい。本末転倒。しかし、しかし。やはりそうせざるを得ない道を私は歩んでいるわけで。その道をふざけた観点で進む他ない私はそれでもなお、生きている限りその皿の上でなんとかやっていく他ないけれど、うん。
色々あって如何してか小説だとか文章って箱に言葉を入れ込もうとする私はやはりかぶれている。歪んでいる。認識不足。しかしそれもまた仕方がないのだ。今そう呟く他ないわけだ。おかしいのだけど。
言葉を連ねて行く為、〈まとも〉と感じたわたしのなにかを表出する為の条件として一つ誠実さって輩だとかものだとかが重要になる。そしてそれを残している間に大事だった言葉はいつの間にか深窓の向こうに鍵閉めておねむな具合っていうのがよくある話で。まぁこれも当たり前の話。仕方のない話。
結局生きていくならば最終的に手の届くはずのない若輩者が一番大切だと感じる構造の隙ってやつに執着出来なくなるのが当たり前の話。組み合わせて組み合わせて身体の機能の限り組み合わせて出来た隙を誰が埋めるというのだろう。〈私〉ではない。〈視聴者〉って輩なのだ。
それぞれにそれぞれの論理がある。ただ進んでいくに辺り嵌められていく適当な言葉がある。其れをみて大切だと思ったわたしがいる。非難して賞賛して拘り過ぎてかぶれてしまうわたしがいる。
かたちは言葉が大好きでした。大好きという言葉の意味と重さについて考えると不確かにはなりますが其れを除外すると確かに大好きと云うかたちでした。しかし言葉は佇んでいません。針のように雨として薄暗い空を流れる雲から降ってくる、そして誰にも雨としか認識されない存在です。言葉は生まれません。降っているだけです。生き続けるならば。
箱が必要です。なんらかの箱が。全く反対方向に進む他ないかたちではございますので色々と下手で歪んだもの、小さなものしか生まれる他ないかたちではあります。それがかたちの普通です。紛いものに拘る他なかったかたちです。
其れを発現する為に其れを忘れる。そんなこと出来るはずもない。そうして苦悩して自殺するのか、出来ないならばそれ相応のものを示さなければ存在できないかたちです。
拘りやがった。生きようとしやがった。死のうとしやがった。なにかから離れている。目を逸らしている。其れをしてしまったかたちです。
色々な未来の方向を選択して絡まって篭ったかたち。ここまで一体どう云う言葉が連なったのか。それは解るべきなのか、解らざるを得ないべきなのか。私は一体なになのか。選択したものになるべきだ。一体なにを選択した。一つにかたち。一つになにか。一つに色々。考えてなるべきだ。私になるべきだ。
どっちにしても何かに強く籠るべきだね。生きるならばそれが肝要だとかたちは思うよ。まぁそんなもの意識しなくても勝手になるものだから意識するべきではないのだろうけれど。ほら今だってかたちが意識していない場所でわたしの篭りが展開されているはずだ。篭りと述べるわたしの別の域が激しく篭っている。要は商品。使えるか、使えないか。私は自身を使えないと判断したわけで様々な思考等を育み表出したって話。馬鹿げてるね。


なんらかの場所を〈活動〉させる為に生きているってわけだ。一連の文章で為されていく全てがそうなはず。一体どこか知らないけれど私と云う個体がせめて呼吸できる最低限に存在できるように〈活動〉しているのだ。それがどうしてこうして下手な感じに組み合わせながらもなんとかこんとか生きていく結果、まぁなんか生まれるんでしょうね。ずっとそんな感じでしょう。どうなるのかは知らないけれど。

 

 

プレイヤーは感情を考えてはいけない。動く為に阻害となる行為は取り除かなければそれこそがプレイヤーの矜持。

 

 

自分は一体なに。なんなの。考えなければなにかに当てはまっていき考えすぎるとその場で腐っていく。生きる。全ては生存していく中である。