卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

家族コンプレックス継投

一文

 害だとか嫌な気分とか人を傷つけるなとか殺すことはいけないとか色々な倫理。倫理って言葉は浮いている(かたちのなかでふわふわ)。しかしまぁそうしなければ、しなければって思い込みにつぐ思い込み。完成された人間か? いやいや実際のところ自意識の中での世界はそう云う感覚だろうけれど現実では相手に嫌な気持ちをさせる行為と言動を為していたわけで(思い出そうとそういうものだったかと認識すれば記憶のそこらで落ちまくり)。こう云う言葉でさえ何かの感情に乗せて発言するわけだから何やかの誰かの私の様々の意思の尊厳を傷つけているはずだ。そして其れを真正面で受け止めたなにかは反応を私に示すのは当然。だからと言って其れは悪いことなのか。悪いことだろう。自省する。其れはいけない。よろしい。どちらが正しいのだろう。どちらも正しくない。選択は特に何の影響も示さない。現実はただ変容していくけれど。
(生きるってことは何もかも傷つけるっわけで。殺さないといけない。傷つけないといけない。人を物を犯さなければならない。生きるならば、生きるならば。)
倫理の行き過ぎかは知らないけれどそう云う思考がかたちの頭の中で育まれ浸透してしまった後。結局事前の当たり前の生命活動の自制が私に下手な思考を育ませるわけで。まぁ其れも仕方ないってわけか。どうせ聴く程度のわたしだったわけ。
何にしても倫理を意識したら何もできない。他人に殴られることが一番だ。行動して行動して自分の中はただそれだけ。悪いことしたら殴られる場所にいればいい。ぼろくそされて下手したら死ぬ。其れも嫌だね。そのような嫌が蔓延したらかたちになったのでしょうか。
個人で私で何もかもなしていかなくてはならない。そんな思考も関係している。なににさ? あほな話。なにを話したいって今の私の状況に成り得る自意識の理由を思い出しているだけ。そんなことはどうでもいいね。まぁちょっとした糧の為だ。はい。
父や母等家族的言葉。自分もそうだと認識したある言葉さまざま言葉。個人として生きよ。他人に頼るな。他人と違うことをせよ。まぁ家族的問題。少しずつってわけ。コンプレックスは世代を跨いで解消していく。新たな劣等感を育ませながら。