卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

世界と私、その事実。

一文

 

まだ溶けきっていなかったり時の流れで勝手に放ったらかす程度の扱いかもしれないが子供ってやつはどうも勝手なる思い込みで笑い泣き駆けていくもんでかたちさんもまたそう云う要素を抱えて生きてきた。想像妄想落ちた言葉で無理やり解釈。ここは泣くべきだとか感動すべきだとかそのような無理やりな当たり前の言葉に毒され思い込み思い込みどうでもいい話、勝手な話に追随しようと日々テレビの前やら友達の前やらで頑張っていたかたち。其れが普通ってやつ? さぁ。
子供に感傷も悲哀も遠すぎる。〈生活〉になれぬ遠さを保つ子供は何故か浸らざるを得ない。かたちは〈生活〉だったような気もするのだが。所謂思春期にて自らの軽い痛みをぶちまけることを自意識的には為してはいなかった。「もっと苦しんでいる人が世の中にはいて私が苦しいと述べるとお母さんは世の中にはもっと辛い人がいるから大丈夫よと、大したことないとか述べるけれど。私は辛いと言ってはいけないの? 苦しいと述べたらもっと苦しい人は私を嘲笑するの。此処は〈責苦〉じゃない。辛さと悲しみは存在しない。私は嘆いてはいけない。辛いとはいっていけない。軽く緩いこの場所は普通な場所。泣いてはいけない。泣き言はもっといけない。もっと苦しい人がたくさん存在しているのだから。あなたの存在による泣き言は愚痴でしかないのだから。どうでもいいのね。苦しくても特に問題ないのね。言ってはいけないの? 辛いと思ったらいけないの。言葉は辛い人の為に残さないと世界は廻らない。私の場所になりきらなければならない。その言葉は存在しない。なりきっているだけ。〈責苦〉の世界の言葉にかぶれて逃れているだけ。逃れるしかなかったのに? どうして辛いと言ったらいけないの。辛いと言わなくちゃ誰も助けてくれない。みてくれない。私をみて。私は此処にいる。たった一人脳内にて私を築き上げている誰よりも立派な私が此処にいるというのにどうして誰も立ち止まり私を確認しないの? 私は此処にいるのよ。どうして、どうして。そういうことなのよ。解っているわ。其れでも其れでも言うしかないじゃない。辛い。苦しい。どうせ見栄よ。でも言わなくちゃ思わなくちゃ私は死んじゃう。ごめんなさい。惑わして。ごめんなさい。外の言葉を使って。私は悪い子です。遠い子なのです。逃れるしかなかったどうしようもない子なのです。全ては当たり前でした。こう言う立ち回りになるしかなかった私の行為です。いいのです。そう思うことが肝要な気がしてきます。そして思い込んで全ては遠い話だったんだなぁと思うその日まで延々に苦しむ、ふざけた言葉に囚われたほうが身の為です。其れこそが私の責務。そう思います」
ただ動物的だとか個人的な感覚、其れが示す場所がどこであり何であるのかというとかたちには解らないけれどそういう場所によって生きる、そうでしかあり得ないと思う。しかし世界は惑わされ。常日頃の生きていく為だとか存在する為だとか様々な遠い言葉に惑わされ私は其れになりきり会得することが必要だと思い込み勝手な張りで日々を過ごす。所詮時代の子供の世界観。何も掴めぬながら張り巡らしたラベルで横暴な言葉を世界に残していく他ない存在でしかないのに。あの場所にはぼーと口を開ける私しか存在しないはず。全て思い込みで君の脳内で進行するだけの夢。夢しかみえていなかった。勝手な想像を思春期たちはぶつけ合っていたのかな? 私も彼も彼女もそうだったのかな。面白い話か? 普通の話だろう。
存在せず浸りすぎないことがたった一人の私としてみれば〈正しい〉と呼応されるラベルではないかと子供時代や今? にも思う。其れにかぶれるわたしだが。世界はものもひともくうきもかぶれすぎている。〈一緒〉なる空間にて息吹いている。それだからこそ下手な引っ張り合いで会わぬ存せぬ言葉で日々を過ごすしかなかったわけで。一体どのように生きて笑うのでしょうか。その言葉が一番この状況で愉快、かもね。
〈愛〉〈涙〉〈死〉〈友達〉〈敵〉〈憂鬱〉〈病気〉〈私〉〈あなた〉〈世界〉〈物質〉。自分の領域と何かの時季。私は常々そのときが来るのを待っているのかもしれない。辿り思い込み信じ込んであると信じて実際出会えれば何をいうのだろう。解らないし在るとは気づかないのがリアルな話。まぁどうでもいい。ただ息するだけ。そんだけ。結局は。全部勝手な霧消する言葉にすぎんわけでしかし其れに寄り添い生きていく他ないわけです。こうやって日々思い込んで浸り込んでね。

 


来るとか在るか知らんけれど私の中での〈表す〉。其れの時代、私が残せる程度はまだ来ていない。それまではただあほみたいに苦しみ嘆き離れ忘れる必要がある。あほらしいね。笑う他ない。そんだけ。

 

 一つに私が感じたこと思ったこと。私は自分を尊く誰よりも世界で一番、世界を救う何かになると思ったからこそ、周りと自身の立ち位置と様々な関係においてのずれに苦しみと嘆きのラベルに包まれたわけで。そして今みたいな行為を必要としたわけで。

 人は時の流れと空の色にただ存在する〈部分〉にしか過ぎない。個人。私として自意識、自己。其れに囚われて生きていく当たり前。しかしものひとくうき。君たちの中にまみれるからこそ大切な個人を抱えられる、維持できるわけで。

 個人と言う世界。私というを世界を救い守ることはできるのか。愛と友情を大切な存在を護り紡ぐことはできるのか。全てはそのような話。実際は大きな世界だったのだ。子供の時の夢は〈私〉に対する感想。どのような〈私〉なのかの道標。日々護り慈しみ生きていこう。其れこそが大きな言葉。日々は小さな言葉、されど明日の大きな私。

 あなたは子供の時どのような夢を残してきたのだろう。其れはたった一人の〈個人〉、自身でしか守ることのできない世界に最も必要なものであると感じられる? 感じる必要なんてないけれど恐らく必要だと年月は〈個人〉に教えたのだからあるわけで。自分の出来ることをただやろう。その言葉を勘違いせずに認められる年月。世界と私と言葉と其々の関係性を知る日まで。生きて感じて思い込んで。こういう話ではなくもうちょっと今までの私が感じて可能な言葉を述べたいけれど。今はまだ言い切れないけれど。〈個人〉と云うものこそがただ認められる箇所で認められるってことは世界で、子供の時は世界をどうするかについて思考を張り巡らしていて、時と共に私と個人と世界と他人とものと空気の関係性に戸惑い嘆いて、しかし本当の認められるものが次第に理解できるようになって、本当に大事なことに視線を向けられるようになって、其れこそが子供の頃の夢が示すものだったと私は気づけたとき何かが開ける筈。世界は私の胸の中にある。君が描いた夢の意味はその時にまでお預けになり捨てようとしたかもだけど実はその時のために必要だからこそ描いたってこと思える筈なんだ。さあ生きよう。解った。生きる意味。存在する意味。存在し続けるならば。する他ない。溢れた言葉、明日の言葉。為していく。其れでしかない。こう云うことを文章に乗せていける私にはまだ遠く代表する言葉はまだ曖昧模糊な森にて姿をくらましている。いつか出会い知っているからいつか出会える筈なんだけどまだ遠い。

 

何にしても自分の中で残していた日々の感情と言葉は今の連ねていく構造の要素として息吹いているわけで。肝要なことってそんな話かな。まだ〈当たり前〉にはなっていないけれど自身の中の〈言葉と感情の累積〉をただ表して述べること。其れが普通の領域になりたいなぁと文章を述べる領域の私は思っている。其れがたった一つの冴えた私だと考えている。

 

 色々な感情が絡み合っていて何が大切かなんて実際は溢れ過ぎていて意味のない行為だね。だからこそ傍目には下手な行為ととられる何かを成していくわけで。そう云うわけになっていく他ない、しかししかし。私は一つに表すこと。自意識にこもること。自己に執着すること。別に何かが絡んで来たらそっちに引きずられて砂だらけになるわたしだけど結局は自己、其れこそざ肝要だと思い込むわたしの域から離れる時分ではないわけで。だからこそ大切な個人、自己の発現、大切だと世界一だと篭ったなにか、実際は認められなかったからこそどうにか認められるかもしれない行為、其れは頓珍漢な発想だけどそうならざるを得なかった私だからこそ、今の行為に浸りこむわけだ。

 まぁ日々やるだけだ。実際は遠い行為とも考えるわけだけど。発想が発想だけにね。しかしまぁ其れが私でありそうせざるを得なかったわけでそうなる他なく別の行為をしようにしても身が今以上に入るなにかを必要としない私なわけで。ぼちぼちやる他ないよな。さぼりじゃないよ。〈さぼり〉だろうけれど其れが私ですから認めて愚痴いって溺れて生きていく他ないわけです。ぺこり。