卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

明日

一文

 常に”劇的”を求めている。其れがなければどうしようもなく耐えられないと思い込んだ、感じた場所があるからだ。
停滞と汚濁と錯乱。生きるはそう云うことが当たり前で人の前に魅せることを考えて生きようとするなんて結局ふざけた妄言。当たり前に生きること、残ること、ただあること。
果たして自分が何であるのか考える。何をすべきか考える。普通に生きてはいけない。ふざけた妄言でしかない。其れでも呟かざるを得なかった。
自分の普通。自分の当たり前。何を認めて逃れてきたのか。考えなければならない。考えて思い出すことが明日になるのだと思い込んでいる。
結局は妄言。勝手な思い込みを連ねて馬鹿げた気になっている。
全て個人の域なんてくだらない。少なくとも自分はそういうのが嫌い。しかし何もかもにそのような言葉を与える自分。
他者だとか世界だとか、その中で自分の進行が足りない。
飯を食っていたら太るし寝ていたら遅れるし休んでいたら何もかも手遅れ。
生きていくのに辛くない方法なんてない。その方法を考えることしか出来ない自分だからこそ色々と生きるには遅れている。
在るがままと為すがままの感情と結果をただ表出するしかないのだけれども。
”椅子”も”布団”も”歩行”も人にはない。だからかぶれることは出来ずただ流れの中で語られるのみでしか彼らは存在できない。
超えて超えて超えて。そのような話。意識的ではない必然的な欲。欲しくない。認めると死んでいく。どうせ死ぬしいずれ死ぬし明日死ぬしそれなのに生きられないと嘯く。まだ早くいずれ悔やんで当たり前に死んでいく。
しかしその経過もまたただ当たり前の生きる。生きるがそこには眠っている。もうさ、今以上の勝手さが必要な気がする。個人として生きる。一人で生きる。そんなの無理だ。言葉が必要だ。視線が必要だ。泥が必要だ。嫌で死ぬで鬱な日々が生きるの中に眠っている。
そんなに頭を通っていないし並びが言葉として必然性を持つわけないけれどBLOOD+1〜49話。その中で綴られてきた当たり前の表出。余りにまみれると色々とわからなくなるけれど50話で迎えられた帰結は人としての感情の縺れ、歪、此れは自分の勝手な想像に過ぎないんだけど、其れを認めて生きていくことも”有り”なんだなぁって解ってはいるけれど信じらないことに一つYESをくれたよ。それが為に、一つの当たり前の裏として他者ながらに家族的な存在、そのものの鮮烈が存在する。生きて炸裂した血が存在したからこそ迎えられた今がある。シムーンでそのようなこと感じたなぁ。シムーンで認めた帰結、私たちの代表、大切な今として、未来となった今では解らない気持ちだけれども、それがあの時大切だった、なければ生きていけなかった。そういうもの、自分は結局外れだとか逃避だとかそういうところに位置付けて認めて”書く”で在るからそういう場でしかと生きている人の言葉は胸をついてしまう。認めないと。其れは変だと僕は思う。だからこのような確かさ。下手な想像で固められ馬鹿げた想像を打ち破ってくれる”良い”と感じるものは今の場所を生きる僕にとっては一抹にしか過ぎないけれどそういうものが明日に運んでくれると僕は信じている。堕落と逸脱と逃避と沈溺が似合う(かもしれない)今のなかで信じている。大きな意思。最近解らなくなっている。自ら見失おうとしている。何かを得ようとして何かを失っている。自分はなろうとしたもの。自分というもの。何を悪いといい良いといったのか。何かが嫌で何かが良かったからこそこうなったのではなかったのか。其れを忘れて下手なかたちだけを合わせて生きようとすることこそが悪ではないか。自分の本当の今、其れはふざけているにしても自分の今に成り得たことを強く示すべきではないか。忘れず、其れはあほうな言葉だと僕は思うからこそ思わないが、自分として生きていきたい。私に述べられることを述べてね。少ないけれどまぁそれが自分だし、はい。

 

 

一瞬として認める認めないは関係なく何もかも在る限りなければ世界は保てない。悪意だとか善意だとか全て。