卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

当たり前に存在するから、どうしたい?

一文

 久方ぶりと云うかまぁ全然此処に文章を遺さないのも癪ではあるので(死んでいないしそうなってしまうほど当たり前の日々に身を置いているわけではないのだから)一つの文章を明日の当たり前の為に残しておこうと思う。控え選手であったり二軍選手としての動き(まぁそもそも自身が”所属”しているかどうかなんて確かな言葉として発現出来るもんではないのだけど)の思考なのは当たり前。自覚だとか存在だとかその域であろうとしなかったわけであるしそうではないと云うことだ。

 

まぁ触発ではないがまぁまぁ私の生活にはありさんってやつは関与しているわけなので残しておこうと思う。自身の現在の状況と云うものの遺産としてね。


最近は掃除をしている。今までは? 掃除ってやつが嫌だったの。存在を殺すみたいでさ。まぁ其れで自身独立宣言の拡張を果たし父の記憶部屋として放置されていた暗室改め自身の部屋でダニに刺されまくってえらいことになったのは教訓。もう憶えていないけどね。あの時は本当やばかったね。だって身体中赤くつぶつぶまみれであろうことかダニのやつ俺の性器にまで侵入しやがって水膨れが出来ちゃって…。もう忘れたよ。勉強しないからね。はっきりと示さないからね。解らない奴には解らないの、いつまでも。
僕の部屋ってやつは汚い。部屋は心の鏡っていうけれどそりゃあまぁそうだ。まぁ同じ生活圏に所属する奴にしか確かとは云えん言葉だろうがね。つまり其の者自身の生存環境と其処からの距離こそがいわゆる”心”って奴になるんだろうね。知らんけど。
まぁ生きるってことに囚われる、其れこそがこの時代の私の一番の問題、だった? 今も? 此れからも? 大きくはね。巨大な視座からはそう表現するんだろうね。爺さん、死んだ婆さん。額物の中に入っている顔だけと時たまな名前だけの曾が付くらしい祖父の両親。よく解らんどうとでも良いとも言える時たま下手な気遣いで連れられて出逢う墓場の下手な名前一覧さん。あんたたちは当たり前のように赤ん坊から地続きの自分勝手な感情を表しているに過ぎんのさ。其れは迷惑だとかほんとどうでも良い。勝手にしてなさい。本当どうでも良いから俺もまた同じことを追随するわけ。そうでしかいられないことを識ったわけ。まだまだだけどね。年の功で宜しく機能そのものとなってしまいそもそも消失しているあんたたちご先祖って云うどうでも良いお偉いさんには負けるけどね。精進するよ泣きべそこくふりしながらね。ほんとふいちゃうようになるぐらいにね。バカ。
どっちにしても生存してしまった、死ななくてはいけなかったって云う感覚でさえ今は昔。所謂中二病黒歴史思春期反抗期青春。其れは昔懐かしき思い出、決して届くことがない過去なんてお話、それこそ馬鹿だけど適切。そう思わなくては其処にはいられないってわけでしょ。そんな14歳ではなく34歳の囚われの娘でなくてはいけないと思うわけだろ? そして其れを享受することに悦を感じるからこその人間だろ? 知らんがね。だからこそ14歳の囚われの娘で居ようとし続けないわけ。やろうと思えば出来るのさ。俺は知らないけれどそう云う人も存在も何処らかしら存在しているんだろうって事だけは俺は知っているよ。世の中には思考できるものならば何でも存在していることも知っているよ。だからと言って其れが俺の人生であるのかは別問題で俺自身がそうでもないくせにわざわざ囚われの娘になる理屈もないってことを俺は最近識ったね。まだ識った程度でちょっとした揺さぶりで現在の虎のエース候補の如くボールを握れず放っぽちまうけどね。ふざけた言葉として世に体現すべきだね。無意識的な表現、棚から牡丹餅ならぬ瓢箪から蜂みたいに刺されて死ぬべきなんだ。其れこそが人。そうならざるを得なくともただ自身の肉体言語をそのまま表すことを先ず第一にしたいね。恐らくね。
あれアリのことを書こうとしていたはずなのだが自分がどうしてアリを書こうとしていたかへの導入、確かな言葉で挟んでアリを活きたアリとして表そうとしていたらこうなるね。それで良いさ。自分の思い込みだけど。まぁつまり。死ぬこと、生きること。今まで思ってきたこと考えてきたこと。このブログにて書き現してきたこと。僕は大人になろうとしている。いや、もうなった。甘ちゃんなのは当たり前。今までも今も明日もそうだからだ。其れでも大人なんだ。ちっちゃな鼻水垂らし野郎から見ればでっかい身体した馬鹿野郎なんだ。それでも存在しているんだ。言葉を求められているんだ。だからって云ってかぶれてよられて適当こく野郎には絶対なりたくなかった。俺ってやつはそう云う存在でそう云う人しか認識出来ない野郎だったからだ。自分が変わらなくてはいけない。変わることはできない。生きている。生存。ただそれでしかない。それで上でしかない。生きる。其れをする為には為していく為にはどうするべきなのか。かぶれる私。
事実。脚色など目くらまし。思い込みも想像もそれでしかない。事実は淡々と残されていく。地球は回る。大気は巡る。私は生きていて他人はそんな私が生存していると同じ環境に存在すると解る。それが上で当たり前のように認めた人。生きるしかないんだって言葉を連ねてやはり私はまだ生きているわけなのでならばどうするべきなのかって云うのは良くわかっていること。誠実。私に誠実。かぶれた感覚にゆられる馬鹿野郎は日々消失。
ティッシュね。彼ら葉っぱと思い込むらしい。俺の生活圏足広げられたら困るからティッシュ奴らがやってくる壁際に置いているんだけどそうすると反対側に敷かれた布団の上には彼ら滅多にこなくなるの。そう云う方法用いるのは馬鹿だね。まだまだ馬鹿。永久に馬鹿。どちらでも良いね。しかし瞬間の判断をはっきり示さないと腐るから出来る限り早く緑の色お薬さんが入ったボックスをね購入してティッシュの箱の横にでも置いておさらばさせないといけない。其れが俺が生存していくに辺り必要なこと。必要なこと、自身の肉体に於いて為せる当たり前を為さぬのならばなぜ死ななかったのであろうか。結局自殺できるやつじゃなきゃ生きていけんと云うのも一つの教訓。バントとかヒット打つのもそうなのね。硬い石ころで死の危険にも踏み込んで身体を入れ込んでバットを廻す奴じゃなきゃヒーローにはなれないの。教訓だね。
ますます何書いているのかわからなくなった。まぁわかる必要はない。下手な解り方如きで解った気になる言葉なんか必要ない。元々存在しないんだからさ。まぁ有るものさ。其れこそ肝要。其れで有るからこそ人だ。
まぁ其処にある当たり前だね。俺は其れを為していきたいね。なんでしたいかは忘れたけれど駄目なことならば後でナイフ飛んでくるから大丈夫だろう。死んでも仕方ないだろう。其れこそ生きるって奴なんだろうから。解らないことは解らなくていい。解っていることを確かに示す私を現すこと。現すではなくて表すになる程の当たり前さを築いていくこと。っとのような言葉を記していって一体私は何になると云うのでしょうか。私には解りませんがまぁ其れも構わず生きていくことになれる他ないんでしょうね。はい。

 

まぁ自分以上になってしまえないけれど自分ですら為せていないならば俺は俺に駄目だと思うね。それを少し前は考えていた。今は何を考えているんだろう。瞬間の表題は何であろう。今は忘れた。さっきは覚えていたよ。確認する必要はない。常瞬間の正しさ。苦と楽に逡巡しながらで良い、はず。多分ね。はい。


かたちってより俺の文章になったね。暫くは俺やら私やら自分やら僕やらで生きていこうと思っている。かたちが表出できるようにね。其れって所謂”過去”って奴なんじゃ? 違うけど正しい。まぁ勝手にしろよ。色々とね。はい。