卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

行為になる筈では? 如何して。そう云うもん。

一文

 

他人がどのような気持ちで話しているかなんて僕は聞けず分からず引っ込んで爛れる他なかった訳なんだけど其れでもやっぱり聞きたいだとか分かりたいだとかその様な芽生えは引っ込まず存在し続けるから路道を通行中反対側からやってくるほにゃらやちゃんの風景を阻害しない程度に眺めてしまう私は常に存在し続ける。例えば母とちょっとしたことで口論になる訳だけど僕としては暴力はいけないだとか行くとこまで行くことは嫌だとか相手が絶対に引っ込まないことは知っているから何処かしてはいけないラインには触れずに終了となる訳なんだけど、私の内に発生した様々な言葉は消化されずに残っているわけで延々に叫び続ける母の存在から一つ仕切る意味も持たない開いたドアを力の限り押し閉めて母がぎりぎり聞こえるような空域で単的な意味と接続しない罵声を吐いて廊下の端に積み上げられた洗濯後のタオルの山でも思っ切り殴ったりするわけだ。そうする他ない状況だろって母が唱える外でその態度を示せって言葉に思う僕なわけだけど確かにその通りかもしれない。もっとはっきりと現象に対する芽生えと接続した生命を行うものならば母は逆にその様な状況に面しては僕と同じ様な態度を取っていた筈だ(もちろん現在でも当たり前の様に母もまた僕にその様な態度を取っている面もあるだろうってことは想像できるけれど)。
要らないってわけではない。でもこう云う達成できなかった芽生えの残留的言葉は生きていくって上では無しにしたいとは思っている。もちろん築いて絡んで複雑に進んでいけばどうやろうとも手の届くことのない達成可能な存在も当たり前に出てくるけれどそう云う話を今しているわけではない。朝起きて昼動いて夜寝るって云う生活の手順だ。其れすらって云えば語弊があるけれど僕は其れが自身が生きていく上で大事だと感じているから、囚われているから、だからこそ当たり前にこなしたい。ゴミはゴミ箱とかね、そう云うことなんですよ、今の話はね。
否定だとか一言申したい私は存在する。存在したからこそこの道を歩む。でも、まあ。仕方ない部分と仕方ないことにしている部分があって後者の方は出来る限り無くしていきたいわけです。性格だとか云う馬鹿げた言葉は存在するけれど他人や空気や場面が溢れすぎてその中にまみれた私の結果がそう云うもん。その限りで生き続けるならばまぁそう云うもん。そう云う決定。大きな視座ではね。流動的だけどね、虚構だけどね。