卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

仕方ない私

一文

 

何かしなければならない当たり前の理由が其処になければ存在しない筈。続く、続ける、続けられないって言葉はまるで意志の介入が大きく物事を左右するかのようにその域にいた僕は感じるし感じていたのだけどそう云うものではない。そんなこと本当どうでも良いのさ。その言葉もまた在るが有り触れている世の中で何か一つ確かなものを連ねていく為に有される言葉の一つみたいなもんなだけで最初から存在しない感情を揺れ動かす為に在るだけさ。ないならば認定される言葉こそが正しい態度でしょ?
ということで当たり前の理由に基づいて生きるわけです。下手に崩した態度は厳禁ね当たり前。そうで在る為になりきろうとするされど全く事実は下手としか言えない蓄積を見せる、そんな私は要らないように感じるから。確かにね。
そう云うことで文字を連ねたり言葉を連ねる行為の意味もまた考えるわけです。私と云う人の形成に於いて其れは何の間隙を埋めて突いているかって話。別にもともとないから良いじゃん。綴らなくても良いじゃん。そう感じる私も常存在しているしいたわけで。ならば、如何してやると云うのか。其れはこの空域で連ねてきた綴りに記されているわけ。下らない理由も大した理由もどうでも良いけれど、まぁそう云う形成に於いて要請があったわけです。どれでも構わないけれど何事も為すどころか始めることすらしないそんな私にせめて出来ること、続けられる軽い、みたいな。其れがたまたま綴りだったわけなのです。ある観点に於いては其れこそが当たり前の理由みたいなもんで私自身連ねていくことに嘆きを覚えた場合はそのことを一度は思い振り返ることも重要かと思いますので此処に残す私もまた存在するわけ。まぁその上で大きく凌駕する私も存在させなくちゃ。当たり前を引き連れてグレードアップする私をね。良く判らないけれど。
まぁ常々以前のなにかと私が連ねていた環境に基づいて覚えていたり忘れている私が下手な想像を勝手に頭に浮かべて世界を解釈して行為に浸るわけ。其れが日々続くわけ。そうしてどんどんたった一つの普遍的な私が今此処に存在するわけ。
常々その時の全てが積み重なり私と云うものを創っていく。中年は顔こそ性格みたいなことを云うけれど正に今までの全てが其処には出るわけで。其れこそが個人って奴で。まぁ生きるならば何とかこんとかしないと思いながらまた長時間眠りに浸る私がいるわけで中々難しいねって話。
まぁどうでも良い話です。そう云う話と惹かれる話なんて。下手な生き方が相応しいかもな僕が奇妙に形を崩した結果出会えた子供は当たり前のように僕に夢を問うたことがあった。果て夢。今は夢のなかに居るんだよって他人には言えないなみたいなことを担わせて居る夢の話を子供に伝えられる僕はまだ其処には存在していないから言葉を濁してしまったのだけど。要はただ連ねていく他ない今な訳で、其処には子供時代のようなふわふわとした概念の品定めは存在せずただ下手でふざけた日々ってやつがただ続くだけです。起きて飯食って寝るって云う生活があるだけです。当たり前が日々が続くだけです。そのような夢は其処の領域に言葉として顕在せず半ば下手な他者として接する他なしで、だからこその下手な態度、だったんだろうね。
この話全て。全てがどうでも良い。どうなろうとも同じ。其れでも積み上げるって意味よ。そうでなくとも興奮して否定して興奮して勝ち取る世界に生きていたとしても大きな観点で、 別の言葉を連ねてみればそう云う領域を存在させた上なのは当たり前? の話な筈。
今日太ったかあさんに色々とよろけた僕だからこそ生まれる言葉を彼女に与えると彼女は「太ることが如何していけないことなの」と発言した。提言って奴には何か言葉を言い返さないといけないと思い込んでいる僕はその言葉と戦える言葉を探したんだけどすぐさま言葉は生まれなかった。つまり其れもまた、太ることをいけないとした私の領域は動物的な私の当たり前、食べ物を食べること、たくさん食べて太ること、それを否定する別の領域に基づいたある種下らない言葉だからこそ僕は何も言えなかったわけだ。100kgを要しても食べ続けられるであろう僕が存在するからこそ一言で否定できなかったわけだ。食べたくない食べたくないと言葉を連ねながらも食べざるを得ない私が存在するからこその話だ。
否定も肯定も存在しない。あほみたいな思考をする意味さ。色々と馬鹿げているけれどでも確かに実行したのならば食欲ならずとも人を殴ったり殴られたりって云うものを様々な点で為すわけだろ、其れに耐えられる私だと思わなかったからこその今じゃん。程度こそ大切だとなんて云うけれどそんな被れこそ難しいわけで結局は駄目なところは殴られて程度の良い辺りで当たり前のようにせき止められる私を存在させられる生き方、其れを何故か当たり前のように実行できていたみたいな話をね今の私は思うわけ。其れもまたふざけた妄想だけどね思わずにいられない。存在しないけれど存在するかもな人間に託す篭った私の妄想。
其れでもやはり全てどうでも良いと観点に基づいて下らない思考を積み上げるわけです。執心しなければ積み上げられない何かを求めるわけです。実際は自身に適した存在に浸りながら其れでも関わってくる自身がどうしてもかぶれる他なかった存在の言葉を自身に重ねるわけです。其れが私な訳です。
まぁ言葉もまた動物的な私には綴る所まで進行しないだろうと考えます。そう云う人もいるだろうけれど私はそんなものではないだろうなとは考えますが。まぁ一つ。其れでもまぁ続いているし続けるし続かないわけも有りませんからならばの話なわけです。どうであれ、とにかくやるだけですね。はい。結局要らないものは消えるし要るものは存在するからね。はい。