卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

ぼーと目を瞑りながら夢想しているうちに眠る

ぼーと目を瞑りながら夢想しているうちに眠る

たった一つの真実に気づいた。真実は最初から存在するからこそ見つけられるのはコナンくんを適当に見ても気づくことができる真理だがかたちもまたそう。かたちがかたちになった所以、思考の所以、立脚を振り返れば気づけることだ。簡単な話だが、他人が私のぐちぐちと述べる身の上話でも聞けば気づける問題ではあるが自らで見つけることは難しい。そのような本当に自身に気づきが起こるってめったにないからこそ人はそれに囚われ見失うわけだけどかたちもまたそうであった。結局人は最初に思ったことをなんとか成し遂げていく他ないって馬鹿げた話だけどかたちはひとえになにか過去に囚われているからこそかたちとして現実におっそらこっそり表出しているわけで。人それぞれだね。かたちそれぞれだね。かたちが気づいた真実、知っているけれど言葉として事象として形、感情を言葉に乗せて現すことが出来なかったものを今唱えるね。なにってつまり私がどうして物語を書いたりするのかって話。篭りになったのかという話。本当にくだらないし幻滅するのは当たり前。だってそれがかたちになるに相応しい生き方だったしそうして今此処にこうして存在するわけだから仕方ない。自分自身にも仕方ないって言葉をかけるかたちだね。ふざけているね。仕方ないって言葉言うとシルバー事件の寿さんの立場ならば死んでいるね。でも仕方ない、ってまた呟くかたち、癖になっているね。駄目だね。でもそれ以外に紡げる言葉は瞬間存在しないから、(仕方ない)←書きそうになったけれど瞬間書き止めた仕方ない様の成り果て。
変な思い込みだとか想像で立ち止まることこそが一番駄目でしょ? 自身で自分のこと分かっているのに分かりたがらなかったり分かろうとしなかったり逃避したり。其れも別に構わないけれど私は其れをしていることに気づいてその上で更に目を逸らして。其処から得られる結果なんて、結果ですら自身の中ではなくて其れなのに時間も人も物も全てが経過していく。私も定められていく。嫌なんです。嫌を嫌にしない自分に嫌気がさしてもどうやれば其れを解決出来るのか分からない自分も嫌だった。考えても考えても分からない。篭ってから四年から五年。色々突破して解決して前向けて後ろ向けて逡巡の日々。されど問題、今の問題。自分の人生を生き方を享受出来ぬ認められぬ、何もしていないわけではないけれど私に言わせてみれば何もしていない。他人からみればお気楽さんだと言われるけれどそうしなければ生きられない私でもあり。そんな私で良いと母は言うけれど、私もそう思うんだけど認められない。どうして認められない? 結局分かっていなかった。自分を分かっていなかった。分からないから何も出来なかった。示された道が正解だと思えず進まなかった。もう分かりました。踏み外すこともあるだろうけれど私は私を理解して生きていられる。たとえ、たとえでしょうけれど、その上でしっかり生きたい。寿命を全う出来る程度に頑張りたい。死には昔から囚われている。小学校のときからずっと死んでしまう恐怖に囚われ続けていて穴に嵌り込んだ。篭った。元から篭っていた。其れが当たり前の私だ。たった一つの真実だその上で生きてきた。今この瞬間まで。

何が強いかと考えた。自分という素材が最も傾注していたものは何かを考えた。生きる上で進む上で其れこそが最も自身に相応しいものを選んでくれるからだ。
最も自分らしいと言えるもの。自分だとこれこそ自分だと声を大にして言えるもの。其れがなくては暮らせないもの。世の中を耐えられないもの。其れはぼーとすることでした。
……。
絶望するしかなかった。いやそんな話ではないのに、ただ自身をそのまま示すことが大事なことなのに僕はかぶれていた。その程度の温度。他人の行為に目を向けてばっかりな僕だからだろう。もっとぼーとしておいたらよかったのだ。ただぼーと生きていければ良かったのだ。
自身に最も備わるもので勝負する他ない。何もない私が示せられるもの。ぼーとすること。子供のときからそう。学校から帰ればふとんにばたっと倒れて天井を眺めることがお得意だった。今もそう。どこかいったり何かをすれば直ぐにベッドに倒れてぼーとする。ちょっとした軽い夢想に浸る。目を瞑りながらしか夢想できないからそうやって浸っていつしか寝ている。ぐーってね。
僕はその行為を怠惰と呼んでいた。怠惰となんて思っていないのに無理やりそう呼んでいた。何かちょっとしたかたちのけぶれ具合は大体からにして認めていないのに言葉に示していた。そう云う私だった。そうせざるを得なかった私だった。だからこうやって生きてきた。篭るようになった。私的にも世の中的にも。こうやって文字を連ねると篭っていると其処に自身を傾注させていないのに他者、私を知らない人、私の生き方や言葉や存在や加減を知らない人に伝えるときに無理やりに思っていないけれどまぁあっているであろう言葉を世界に示していた。そのような私大嫌い。
どっちにしても時間と人と物は経過していく。私がただぼーと夢想することが一番の私を否定していても肯定していても全ては経過していく。話せなかったり会えなかったりもう何年も会ってない同級生に会えなくても会おうと思っても今の自分が余りにくだらないと烙印を押してそのくせ会いたいと会いたいとずっとずっと思っていて。知らないさ。全てそのような話。僕は僕を肯定して生きたい。認めて生きたい。本当の上で生きたい。嫌なふざけた逡巡は結構なんだ。僕はぼーと夢想して世の中の喧騒とははた違いの場所でただぼーとして生涯を終える。僕はぼーと夢想する。その為にはなにをしても構わない。なにを思われても構わない。その立脚で激しく生きていくべきなんだ。ぼーと夢想する時間を大切にして、今までも実際大切にして生きてきた。認めようが認めなかろうが僕は其れを欠かせず実行してきた。人の心を扱きに扱く塾の先生の追及が待っていようが、将来誰にも支援されることなく力もなく言葉も漏らせずどんな人のグループにも所属できず汚いどぶ川にたらーりと流れてカラスと下手な魚たちに身を食われながら気を失う人生が待っていようとも僕は今日もベットに横になりぼーと夢想しながら目を瞑ってそのまま眠った。そう云う話だ。結局其れに囚われざるを得ないのならば、下手に逡巡して嫌な気持ちだけに振り回されるならば。僕は僕を肯定して生きる。ただ生きる。ぼーと目を瞑りながら夢想してその勢いで寝てしまう生活。此れの上で生きる。今までも肯定したけれど此れからははっきりと言葉に示して生きていく。なんと言われようが構わない。其れこそが俺だ。僕だ。かたちだ。本名だ。だからはっきりと示して生きていく。分かっているからこそ言葉に示さなかったかたちで無理な逡巡を重ねてきたけれど此れからは違う。私の上で世界に接してたい。ぼーと目を瞑りながら夢想してその勢いで寝てしまう男がどのような人生を辿るかをみてみたい。だって結局は其れしかできない私であったのだから。


他人に私を説明するときなんて私の当たり前を述べれば良い話だけれど其れが簡単に出来なかったかたち。しっくり来たことはない。反抗期真っ只中で中学校にも家庭にもなんらかの不満を抱えた同級生女子は僕も通っていた塾を心地よく感じていて、僕はそんなことなくて、あるとき同級生女子は期末試験の対策勉強で同じ学校で集まる勉強会のつかの間の休み、お弁当タイムで僕にこんな言葉を残した。
「かたちくんって何処にいっても変わらないね」
彼女は女性陣の会話を成していて塾は楽しいと言葉を成していたんだ。そのときに僕に言った話なんだけれども。そりゃあそうだよ。僕にとってはぼーと目を瞑って夢想していつの間にか寝ている瞬間以外は嘘なんだから。何処も一緒だから。
此れで分かった。僕は篭ったせいで関わることになった高校のカウンセラーさんに一つの言葉を残したことがある。
「僕には確かと言える場所はありません。今まで、今まで何処たりともありませんでした。みんなあるんですよね。此処が自分って言えるものが。僕にはありません。本当です」
あるじゃん馬鹿野郎。話すことが下手なやつはおもしろいね。分かっているのに分かれない。分かりたいのに分かろうとはしない。本当にふざけた話だよ。でもそうならざるを得なかったから此処まで逡巡して認めようとして認められなくて認めてるふりをして認めていなくて。最初から認めていたのだ。後はどう表出するだけだった。全ては。まだまだ足りていないけれど今この瞬間は此処までは来れた。其れは良いことに僕はしておくよ。良い人生って言えるのは爺さん婆さんだけだからね。知らんけどね。過去の爺さん婆さん連中から言葉を借りて此処に遺しておくよ。どうってことない呆れてふざけた未来のためにね。はい。

 

ちょっと付け足しておくともちろん僕の本名の軽いあだ名で呼ばれたよ。かたちくんとは呼ばれなかったよ。当たり前? だよ。

 

 

私は、かたちはぼーと目を瞑りながら夢想しているうちに眠るとして生きていきます。誰にも文句を言わせません。まだ其れを当たり前に生きるほどの経験を成していないけれど其れを充たせるように少しずつ頑張っていきたいです。頑張ります。私の為、かたちの為、全て、その為。

 

 

他者から小説と呼ばれる部類、他人からもそう呼ばれる部類なのかな、簡単に言えばそうだけど。ぼーと目を瞑りながら夢想しているうちに眠るの発露、夢だとか妄想だとか想像の発露、人生やアニメや漫画や小説や様々が混ざり合い囚われに囚われてかたちとして世界に発露できたもの。まだはっきりと言葉に出来ませんが大体はこう。もっと話がうまくなりたいですね。思っていませんけれどそう思います。

ぼーと目を瞑りながら夢想しているうちに眠るとして生きられる道を模索していたわけだ。そうだったのだ。ならばはっきりとね。確かにね。思っていないけれどそう思うね。

 


こう言う話は自身として生きるの道で気づいているとよく生きられるからよかったね。本当に気付けているかなんて私には解らないけれど。この立脚もまた嘘の上ってのも当たり前の話でその上でどうやって生きていけるのでしょうか。さぁね。

 


僕は人生において大切な、たとえ如何であろうとも、壁を乗り越えたり乗り越えようと思ったりその振りをしている瞬間には何かを変えます。なのでブログのタイトルがまた変えるってお話もまたあるってことを知っておいてもらえたらなぁって言葉を此処に残しておきます。今は変える気ないけれどね。なにかビビッときたらね。まぁ馴染んでるからないような気もするけれど其ればっかりはかたちさんのお気分ほほいのほいなので。ほな、また。

 

 

 やっぱり変えます。今のタイトルになにか重ねていた人ごめんなさい。其れがかたちなので、ぼーと目を瞑りながら夢想しているうちに眠るなので。

『ぼーと目を瞑りながら夢想しているうちに眠る』

 としてブログを稼働させます。このブログもまた生きるタコさんなのです。言葉なのです。かたちのなかでは。私の中では。では。

 まぁすぐではないけれど。卵の殻保存同盟に対する言葉を残してあげてからね。其れからにするよ。其れまで生まれ変わる前のこのブログに預けられたなにかを愛しんでやって頂戴な。お願いします。

 

ぼーと目を瞑りながら夢想しているうちに眠ると場所の話もしたかったけれどまた今度。本当にするかは判らんが。

 

ぼーと目を瞑りながら夢想しているうちに眠るの為に生きるね。最優先事項ね。その上で思考していこうね。はい。