卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

この世界の片隅に【2017年 視聴アニメ】

この世界の片隅に

今年の正月明けか明けではないのか、平日の空気が漂う町を歩いてかたちは映画館に向かった。田舎の町に建てられた都会様の建築物。なんていうか今の自分にとって哀愁が漂う淋しい空気を映画館周りは持っている。
平日の映画館は自由席で、老後を過ごすおじいさんおばあさんは映画を観るためなのか知らんが金額が少し落ちたチケットを購入してぞろぞろと一番乗りで放映シアターに乗り込んだかたちの後にぞろぞろと足を踏み入れる。
「──」
「──」
なんちゅう会話が為されていたのか、この時間帯に来るおじいさんおばあさんはどのような生活を講じてきたのか、映画というものが自身の中でどう為されてきたのか、僕は聞きたかった。僕は聞けない。自分自身の人生を話せる人間でないからだ。そんなものに何が話せるというのか。聴けるというのか。実際聞けないし話せないからどこにもいかないし篭っている。それが僕の人生の事実。
『──』
まぁ色々な広告があったんだろうね。僕の周りの都会様の贈呈物系映画館(そういう映画館しかない)にはそのようなものでいっぱいだからそう言っておくよ。其れを言っていれば大体にして正しいからね。あぁグローバルではない人間!

一月にあったものなんてほんとすぐさま形成がちょこんなくせに変わって忘れる20歳であった僕だからほんと嘘になるけれど、なんか仕方ないけどさぁ、そういう空気が嫌だった。今日とかいまGUNSLINGER GIRLのよく分からないもの(感想? 所感? 自分の言葉はすぐ眠くしちまうから分からん。そのつもりで生きている気がする。保存とか形成のため、自身の神経を研ぎ澄ますための機関とか、やっぱりそういう言葉が偉いね)書いているとき他者様の文言で自身の位置を確認するわけなんだけどもちろん同じ言葉、意味合いで占められている、自身もまた。そんな気ないけれどそういう場所でてきとうちょこらで生きている僕だから仕方ないさ。でもやはり辟易とする。何が一体特別なのさ、俺にはしれないよ。
思い込みはただ思い込みで過ぎて私にとっての嘘ならば経過すら必要ないけれど何故かなにかと似ている、なにかの誤魔化しとして選んだ部分、そういうものだけは経過して妥協か寛容か逆上か、それらしきものを其れに抱えて生きていくわけね。 忘却もまたありだ。
僕としては最初からなにもなかった作品だな。そのくせ見にいく野郎の生き方は何故かなにかに不自然に囚われているふざけた生き方。ほんと自身に生きろよと述べてそれってなにってやまびこ返ってくるの。呟いてもいないのに。

この世界の片隅にの文章になっていない? 僕は書いていますよ。自分を書いていますよ。それが大事で不可解で、全くおかしな話とひとりごちる自分。
やっぱりあると思うんですよ、うん。書こうと思えばかけるって話はいけんでしょ? それでも自分の中で蓄えられていてふとした瞬間に自然に現れた君みたいな展開が良いわけなんですよ。自身の展開に従ってね、

文章の一節、一節。言葉が立っている人は素敵と僕は思うよ。これはただのメモね。いつもメモだし今もメモ。嘘ってやつ嫌だからね。逃避した嘘がね、ほっんと嫌。それが自分だからね。 少なくとも明日、変えられない当たり前の中で存在する選択できる部分を自身の中で認められる自身として見参させていきたいから。それが一番だから。自身にとってね。


また三十年後ぐらいに息をしていたら君を見るよ。そうしてね、なにか感じたら良いんじゃない。やっぱりどこにもなににも何かがあるのは当たり前でその上ででしょ? 其れを当たり前に実行し続ける線の上に立っているバレリーナだけれどもそれはそれは見事なもんだってわけではない。俺は再選択しているの? 自分が、自身の心と身体でしっかりと生きると思い込める、其れを当たり前に肯定できる場所を探しているのだ。欺瞞の選択を拒否し続ける。通せる糸の位置を理解していてその元その瞬間が来ることを常々待ち続けていたのだ。鈍い時間と目の前とがときに瞬きを包含する間に手と声と身体を取り入れて泡に運ばれて見る未来の血流。少なくとも私を送れるように敬礼の一つや二つ言った気にでもなっておこう。そうすることが良いことなのだ。悪いことだとしても。


やっぱり観ないとなにも書けんね。そんな話で終わらせるわけにはいかんなぁ。今の僕にとっては時事的なものでそれだけで世の中ってそうやって回るからこそどぶどぶ目に何かを通せるのだなぁと確かと認めて僕も生きるならばそうでなくてはならんとふざけた文言を述べますが少々入り込んで述べていきましょう。時事的ではない人間として瞬間生きてきてないから慣れていないから難しいこと多いけれど、やっぱりなにもないというのが正解だ。

〈あらすじ的な?(自身の言葉も混ぜて)〉
すずさんは太平洋戦争の時分より前ぐらいから広島で生活していたお人。兄や妹が存在していた気がする。確認すればわかるけれど取り敢えず自身の記憶がどのようなものか確認したいから、そんなのネットの片隅でもするもんじゃないように思うけれど今はするね。ふざけてはいるが残しておきたいんだね。

すずさんは絵が上手かった。えへへと笑いながらその場の空気を逃そうとするのが癖だった。色々と問題を起こしたような、遠い僕には実態など知らないあまちゃんさんが声優であった。幼地味の男の子がいた。すずさん一家は潮が引いた海岸からそこらで昆布かそういうものを干して生計を立てていた気がする。すずさんは幼地味と絵を描いたのか描かなかったのか。何か絵の中のウサギと波が躍動していた気がする。
何年か立って急に現れた実は冒頭に登場していたかもしれない、ああっ急だけど背景はそれなりっていうかいい感じっていうかそんなもの、独特というお茶を濁すかたちの文言の世界が展開されていた気がする。話を戻して男の人、寡黙な人は一目惚れしたすずを嫁に貰いたいって、そういう時代か、これ。今の日本という土地では同じ型としてないけれど(断言してはいけんね断言は)あるとしたらどういうもんかな。まぁそれは置いてだ、すずさん。嫁になりました。呉でしたっけ。篭りにしては僕の土地では恒例の修学旅行と自身の篭り始まり辺り、二度訪れたことのある広島、土地勘はもちろんありませんけれど。色々苦労したっけな。絵を描くのがお好きなすずさんは絵が描けんか、描けなかったか。なんかすずさん自分のおばあさん(本当におばあさんだったけなぁー、忘れた)から初夜の作法を教えてもらったりして(傘と柿となんちゃらほいだな)初めて嫁ぎ先かそうではないのかの時分に夫となったのかまだなのかの男の人にその作法を始められてパニックなりながらなんとかやろうとしてできたのかできなかったのかでなんかぼんやりとした質素な空間が展開された記憶。
其処からなにしたっけな。忘れたなぁ。夫の姉ちゃんが帰った。娘もいた。娘はすずさんに馴染むけれど、絵とか教えた、書いた? 姉ちゃんは高飛車で中々の性格。カメラ屋(当時の言い方かそうではないのがあった気がするけれど忘れた)に嫁いだ姉ちゃん。逃げられたわけではないと思うんだが…。
空襲とかも来るようになる。食事は配給制にもなる。すずさん武田の極意的な料理を作るんだけど、貧乏の処世術、まずくてみんな苦笑い。絵とか書いてスパイと間違われて偉いよっちゃ音頭も皆んなしたね。
海軍に入った幼地味の男の子と出会ったのかやってきたのかで彼心配。自分の、すずは満足できているのかって。すずさんは夫が計らったその空間を否定とまでも云わなくとも肯定はせず次の日か知らんが私のことを愛してないんか的な言葉を夫に述べて夫共々殴り合い…にはならなかった気はするがなんというか存在した溝は埋まった気がする。
其れから空襲で危なくて夫の父に助かったり夫の姉の娘が、手を握っていて、ただ横にいた、場所が反対ならば自分が死んでいたのに、娘に姉に申し訳がたたない、なにも話せない、不発弾か? どうして、どうしてがあり。空襲が自宅に飛んできてすずさん囚われて周りに助けられて。横の街、すずの地元に原子爆弾というものが落ちてきて。黒いすすだらけの人が集会所のような所に横たわっていて死んでいて。
それから先はもう思い出せない。先に妻の地元をなんとかしたいのかそうではないのかの夫が駆けつけていてすずさんは後から駆けつけて何か言葉を述べて冒頭の風景か、この世界の片隅にとか述べて、橋で述べた気、で終わった気はするのだが実際のところは知らない。
クラウドファンディングの力を最後に見せられたのは確実に覚えている。


次回はAngel beats!


〈自身の反省点〉
もっとはっきりというわけではなく、しっかりと立脚した言葉を述べられるよう意識して生活する。続ける。