卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

シスタープリンセス

2017年 視聴アニメ

自分自身は誰かのお話に基づいて、過去に電波に乗せてお茶の間に表出されたアニメをネットだとか軽い箱の中のディスク等に眠る映像を吟味して見ている。例えば普通だとかそのような言葉は不遜なんだけど、世間一般的、今の僕が感じて単純に言葉にすることは大嫌いな穴に落ちた、沼に落ちた、悪魔の声に流されたっていうのが僕と16歳に地上波新エヴァに見るに至るものとそれからの僕のアニメに対する立場。
さてどうしてアニメ、シスタープリンセスへの僕の立場を思い出し振り返りながら書こうと思うに至りこのような前振りのようなものを書いたのかはまぁ出来る限り読みやすくなればなぁという世間に流された馬鹿者、かたちさまの今の心境みたいなものなんです(えらく文字を並べる世間様に喧嘩を売っているが)。
しかしある言葉、生まれたものは何もかもどうしても消すことは出来ず、ならばこそ、生きるならば、と今の私は思わなければならないと何様な感情を抱いて過去に抱きつかれたり他の存在しないものに誑かされたりしていますがやはりどうやろうとも今にしっかり生きないと今に取り憑かれている私の肉体は述べています。いやね、本ですよ、本。ごく一般的な本、其れが指す意味なんて人それぞれでしょうが僕自身にとってごく一般的を指す本を読むとかぶれて自分自身がおかしくなってしまうのです。なかなかに頭がかぶれて行為に進まなくなってしまいます。篭り的性質を帯びている私の中の言葉の並べ方と違う言葉。どうやって付き合っていくかは人それぞれですが完全無視を決め込むにはまだまだ私、道理なんて遠すぎて、はい。
アニメシスタープリンセスへの話が遠くなるし自分自身の言葉の連関は剥がれていくわけでここらで無理やりアニメシスタープリンセスへの話に入り込みましょうか。もちろん映像を今見るわけではないですし、私自身に於けるが先行する話なわけで其処らへんは見る人の裁量ってわけでよろしくお願いします。


wikiで見ると2001年にテレビで放映されたアニメ、シスタープリンセス。2001年というとかたちは口をぼーと開けて野原を走り回るという形容以上にはるかうら若すぎて超ちびっこ、嵐は呼ばない幼稚園児を過ごしていた時分ですね。
始めに言わせてもらうとこのアニメは良いアニメではありません。アニメを作っている人ではありませんし昔のアニメですしそもそもそんなこと言わずとも余りの毒々しさを帯びるこのアニメの説明文、十二人の妹と共に暮らす兄、という文字面を見れば良い悪い関係なく見ない人は見ないでしょう。よっぽどなんらかの宿命をもった者だけがその扉にノックして入り込むのでしょう。冷やかしもまたでしょうが。
さてシスタープリンセス。僕がこの一連の流れに接触した、思い出せる事物として挙げられるのはひぐらしのなく頃にという作品なのです。
どうしてひぐらしのなく頃に? 16歳の僕の生きるに大きく関連した物語ひぐらしのなく頃にですが、その作品を名前だけではなく大きく知っている人でも不思議に思うでしょう。シスタープリンセスとは所属する大きなカテゴリーこそ同じであっても横に強く繋がるものはないのではないかって。
もちろんアニメだとかゲーム、声優とかそういうもので接触したというのもありですが。基本的に今のかたちがわざわざこのように話を進めて語る、それとなくではない方法を取っている所以は知らず知らずのうちにそれと接していた、後になってそのものが其処に存在していたことに気づいた、そのような不気味さを初めてらしき出会いに感じているからこそ書いているわけなのです。
例えばひぐらしのなく頃にも僕はipodのアプリにてプレイしたわけなのですが記憶にある初めての出会いは恐らくのくまさんの替え歌、森のレナさんというものが初めてでしょう。

youtu.be


そのように全く別の解釈で事物に触れていたのに実は、って話結構ありふれ過ぎているからまぁ問題ないでしょう。本当のシスタープリンセスの出会いなんて実は僕は小学生の頃よく行っていた中古ゲーム、漫画等を扱う店にて出会っていたはずです。psで出ているんですが恐らく目の端に彼女たちが眠るパッケージぐらいは見ていたはずです。もちろんまったく記憶にございませんが…。
そんなわけで私はシスタープリンセスとの出会いの始点と考えられるのはひぐらしのなく頃にに登場するフリーのカメラマン富竹という登場人物をシスタープリンセスのシステムを半ば借りてネット上のフリーゲームとして世間に飛び出たトミタケプリンセスなのです。
……。
余りに恐ろしいゲームなのでリンクすら貼ることを躊躇してしまいます。説明も致しません。あの、ですね。実をいうと僕は余りにシスタープリンセスの十二人の妹と言うところに凄まじき狂気というものを感じないのです。やはりシスタープリンセスはその設定こそ狂気ではあるのでしょうが此方の心をさざなみたたせる為に生まれたわけではないでしょう? もちろんそのことを享受できないものにとっては狂気以外の何者でもないでしょうが…。でもトミタケプリンセスはやはり、違うですね。ひぐらしのなく頃にを知らない人でも一つ検索すればわかるんですが、うん。見たままです。何かを壊そうとしています。かたちも少々はプレイしていたんですが余りにおぞましくて続けることは出来ませんでした。もちろんそんな道理はないんですが今ならばなんとかやり通すことはできるでしょう。でもあの時の私にこの域をやり通すことは出来なかった。そういう事実が存在します。
さてシスタープリンセスとの間接的な出会いの話はこれぐらいにしておきましょう。とにかく見始めてしばらくしてからその事実に気づいたかたちが何を考えていたのか、それは誰にも分かりません。ただ、その経験が知らず知らずのうちにかたちをシスタープリンセスに導いたことは分かります。ありがとう、トミタケプリンセス作成者。その言葉は述べる必要がかたちにはあると思う。
トミタケプリンセスの効能によりシスタープリンセス自体を纏う異質さは簡単に乗り越えたはずのかたちで有ったのだが残念ながらこのアニメはそんな簡単な話ではない。このアニメ、視聴者をけちょんけちょんに視聴の継続から突き落とそうとする。かたちも一度は落ち、暫くしてから心残りでもう一度挑戦して踏破した記憶だ。もちろん其処までする道理はないのだが、そうせざるを得ないかたちであったのだ。当時は。
本当に視聴者に嫌悪感を与える表現が多かった。今映像を見ているわけではないし正しいことは述べられないのだが、うん。じいやっていう紳士、変なおっさんの顔が何度も画面に飛び出てくるし、受験戦争だとか学歴社会だとかそれを現す定まりきった象徴物が画面に現れてくるのも吐き気がするし、少しopを見てみると思い出したが山田っていうクラスメイトだとか変な気持ち悪い像を何度も画面転換に使うとか一話一話の終わりに山田が見ているアニメ? だったかなぁ、その台詞みたいなのが流れて終わるんだけどそれもまたなんか変な感じだった記憶。全体的に露悪的。ただでさえ見る人を普通以上に絞っているのに此処まで障害がアニメの中に備わっていると残る人はよっぽど鍛えられた人間ぐらいっていう残念な状況を思い浮かべるけれど。実際途中から監督変わって話のやり方も変わりますしね。
でもその話の転換こそが其処まで見続けたかたちには逆に不快だった。昔のアニメにそんなこと言っても無駄ではあるのだが。映像を今見ているわけではないので細かいことは言えないがキャラの動きや主人公の状況、製作者が心の中に思っていること、描きたいこと。そんなものすべて僕の思い込みに過ぎないんだけどアニメ、シスタープリンセスを見ていたかたちにとってそれが途中で切られたことは残念であった。
個人的にアニメ、シスタープリンセスには良いという判子を押してあります。近日中に見ようとまでなりませんが、いずれもう一度前半部分だけでも見て感想だとか細かくあげることもしたいと思います。OP、EDも良いですしね。細かいことはそれぐらいにして、あらすじも
今回はなしで。

次回は てーきゅう 三期、四期