卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

死ね

ぼーと目を瞑りながら夢想しているうちに眠る

死ねば良い。行動を弁えていないならば死ねば良い。死んでいない。文字面通りに生きていけば良いはずだが。
身体と心と時間を合わせて歩くこと。私自身が納得出来るようにどのように生きていくのか。
「此処はそのような場所ではないし、だからこそわたしは少しの茶菓子をあなたの横においてすましておく」
(半分を切った電源を心配したかたちは充電器が刺してあるベット近くへ身体を移し今はベットの上)どのような生き方など関係ない話。私が少し小耳に挟んだ話だが世界は以外に広く何にでも可能らしい。私は世界を狭くどうしようもないほどそうせざるを得ないと考えていたが実際はそうではない。私がそうであったのだ。私がそのような存在であったからこそそういう世界が展開されていったのだ。
「この世界、この世界、この世界、この世界」
行為、言葉を並べていく。考えている暇なんて必要ない。死ねば良い。なぜ死んではいけない? 自殺しなかったでしょ? いずれ死ぬでしょ? 死のうとしてはいけないけれど車路線外れてやってくれば死ぬ君です、私です。嫌なくせ。思考は止まってするものではない。
「難しいね、駄目だね、やめときなよ、そうしておくんでしょ?」
私は、という文字面もいらない生き方を。生き方という言葉すらいらない。分からないもいらない。私はどのように生きたいもいらない。いらないものがいらない。
分かっているくせに呟く心がいらない。そんな言葉大嫌いで私はそんな言葉話すぐらいならば沈黙を保ったほうが心地良いのだと君に言う。自分に理解した言葉だけを呟く。それすらすら超えて勝手に生きろ。それが生きるである。
私は考えてしまう。ならば、ならばどのようにすれば生きられるのか、と。それはつまり生きたくないけれど、生活したくないけれど、そのくせ生きていられるってふざけた生活。君は馬鹿だ。生きるの馬鹿だ。もっともっと違う生き方をしたいなんて思っていないくせに。思っていることは何もない。だって何もしていないのだから。
「私は此処で良いと思うのならばその通りに生きて、勝手に死ねば良い。そんな生き方に私は憧れた」
考えだとか思考だとか知恵だとか腐った君と言う言葉を自分で唱える私は違う気がする。生まれてこのかたその連続ということはもっと正しき君の生きるって奴が存在するけれど今の僕はこうして馬鹿な、馬鹿という言葉を唱える僕が馬鹿な思考を繰り返す程度。私という遺伝子から遠ざかる生き方。
「一体どのようにしたいとか考えて分かるわけがないことを理解していても結局井戸端会議、老人座談会の茶番さを感じているならばもしかしたらそれは君ではないことを理解している君、君となれ」
言葉以上だ。全て遠い。つまらない。もっと話せる舞台が、血肉が通う舞台が。私はそのような舞台にいるとと言う言葉は遠過ぎて、死。