卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

深夜かたちはブレードランナーをうっすらと

日々

かたちはアニメは観るが映画は見ない。別にどちらとも観なくともかたちの時間というものは経過していくから本当のところどうでも良いよなと心の隅ではいつも茂っていく雑草に従い、本当は社会的生活という場所に身をおいて、様々なものに色々な意味で殴られて、そうして立派な社会的俗物として実家と呼ばれるどうしようもない自分の部屋に帰ってきて、あぁ懐かしい、俺はこういう文化が大好きだったんだって、古ぼけて埃が積もって開こうと思えば紙がちらぼけて読むことすら出来ない月日に泣いてなにか大切なものを失った自分に身体を動かせなくなって災害に巻き込まれるも命が助かり、社会もまだある程度は保障された世界ならば、本当に全てが灰になった気で明日となるわけだ。しかし其れは一つのアホみたいな可能性という現実を生きていないものがお話し傾注したがる個人的に大嫌いなと述べるお話ですが残念ながら夢想な上で僕は昨日の深夜も深夜もうすぐ明けか、未来の保険的無駄な行為として自分の好きとし貯めた漫画一群を捨てて此のブログだとかネットに関連した自身を燃やして自身の費やしてしまう場所、何も出来ないけれどせめて的に始めたものは結局は私としての必然、私という肉体による言語ではないからこそどうしようもなく何も出来ないからだから、生きていける言葉を話せる人間になろうとして僕の嘘的せめて的ってやつを燃やそうと外そうと考えた。自分自身によるお話しか人は出来ないんだけどそれがあらゆる意味を孕んで出来なかった僕はだからこそ何もしない。できない。つまり生まれてこのかた生命生活ってやつからはほど遠い私を送り続けているわけなのだ。始まりすら出来ず終わるのか知らんがそのような日々を送ってきたわけなのだ。
私はずっと同じことを繰り返している。何も為していない。うん、そういう話。少しずつ理解し始めている。保険の連続で日々消化。そういうことを書いたり思ったりしていたら、ブレードランナーの女が見事な曲芸を見せていて憶えた、昔の、小学生中学生高校生の時の自身のお話を思い出す。僕が臆病なのは自明の理っていうかなんとなく分かるかもだけど、昔からその性質。飛び箱って体育であったんだけど僕は飛ぶことが怖くて高い所に挑戦せずに常に低いところで屯っていた。順番が来ないように後ろの方で口笛吹いていた。あれって走ってゆき、ジャンプ台みたいなところで弾んで手を軽くおいて身体をほいって全身競技。僕は少しでもずれたら怪我をする、痛い思いをするって嫌だったんだ。本当は楽にある程度飛べるんだけどね。今も変わらないかたちの継続。
実をいうとかたち自身はそうは思わなくとも、やはり嫌と軽い脳的な部分が述べるんだ。いつまでも頭の中だけで生きるのもなぁって。僕はしたいことがあるんだ。もっと其れに傲慢になるべきなんだなぁって。浮いた話だけど僕ってやつは五年前成人前の由来って予想は全くのぼやけた黒でしかなかったけれどどうしても社会人ってものになる自分は嫌だと感じていたんだ。学校の先生になりたいだとか世間的に述べていた僕だけどそれもまた逃げなんだ。本当のところ僕はしっかりと自身を張れるぐらいに生活していたならば、プロ野球選手、漫画家、小説家、映画監督、役者になろうとしていたはずだ。今もまたそれ以外は嘘すぎて、僕は嘘だとか逃げ、駄目っていう奴にやられすぎる程度の人間だったから結局篭っちまったがなんかもう大丈夫な気がしてきた。僕は自分自身になる為に何処かにまずは飛び込んで其処に備わるものを吸いこみ私を生活したいと思う。僕は自分自身の小説は中身はたとえどうであれしっかりと備わっていることは知っているから後は何処で生活するかっていうこと。どうやら大きく示すってことが舞台には必要な話で私は其処が弱いから其処を取り入れるように暮らしていきたい。アニメの監督というと絵も音楽もちょっと時間がかかり過ぎるし無駄な私が展開されるので厳しい、脚本家っていうのは良いがならば私の特性は何かってわけで演劇でもやろうかなと考えた。やったことないけどね飛び込んで殴られて居残って磨かれてまぁどうにかなるでしょうとかたちは考えます。少しずつ触媒を持てるぐらいには時間は経過しているはずだからね。保険的生活はまだ私なんだけど。
その瞬間をしっかり形にしようとも思わなくとも勝手なかたちを展開していきたい。そうしてどうなるかっていうか考える必要ないね。思考は身体の中に存在するからね。


一昨日か昨日か某何ちゃらでえんほらほいしているマネーのライオンみたいなものをみ過ぎてかぶれているかたちなわけだけどまぁ少し楽になってきたから文章書けている。なんでかぶれたかだとかそれで何か感じたとか文章にしないならどうして此処に書いたのよって思うのが普通なんだけど実はそうして僕は今書いているのとか自身の本だとかを捨てようとしてなにもかも遠ざけて新しい生活をするんだってかたちの病気が発症して何もすることがなくなったかたちは長時間腰が痛くなる薄さの布団の上で寝込んでいたんだけど、母さまが買ってくださった王将の焼飯と焼きそば食ってなにもかもかたちのせめて的行為はさよならして、そうすれば人を全て遠ざけて切った、当たり前の人間、かたちが知っている当たり前の人というもの、其れを肯定はたまた許容出来なかったかたちの所以、そういう行為と現象がない私の生活は余りに空虚すぎて辛い。しかし今かたちがまぁそれなりって他見るとがらくたでしかない日々の生活はなんとかこんとかかたちさまが無理やりにでも自分なりにでも、もちろん他の人や物や存在が生きるところから遠ざかる場所でできる程度のもので重なった私の世界。もちろんまた何処にも飛び込めない。
僕は見た。つまり昨日の夜にどうしようもない空虚さに浸っていたとき母の部屋から聞こえてくる歌。カードキャプターさくら第一のOP。二階に存在したかたちはゆったりどっそりとみしみし言う埃とゴミと本が似合う階段を降りて母さまの部屋をゆったり開けた。ほえーと口癖いうさくら。少々顎が尖った男性諸君。まこと作劇を保つ背景。茶番劇的物語進行。世界の糸はどうしようもなく何処か揺げていて誰かの声が存在を叩くけれど僕はどうしようもなくアニメと共に生活が存在したんだ。例えであってもそのようなかたちの時季は存在したんだ。捨てることはやっぱりなんか違いますよね。大丈夫だよね。色々と適性は難しいけれどまぁなんとかやれば、やるならば、なんとかなるからこそ人はみんな生活しているんだ。何かよくわからないけれどそのようなこと考えるかたちであった。


ふとたまいつか見ようでまだ見ていないブレードランナーと関西深夜の放送で出会う。ちょっとした過去アニメだとか触れている身文脈的に有名などでかい映画っていうイメージなんだけれどもこの前Yahoo!さんの記事にてこの映画は当時もまた知る人ぞ知るって感じだったしっていうおコメント見ましたからそんな感じでぼーと見ていた。かたちの言葉的感覚でブレードランナーっていうのは超未来、SF的未来、攻殻機動隊未来、サイバーパンクで凄まじく未来型の車が違法的スピードで走り回りその中、街の血塗れた世界で一人の存在、にひりと笑う世界にサイバー女性が存在する。そのような世界観を頭の中に描いていたけれど実際の展開は年候(勝手と共に薄いかたちの映画像展開)。しかしまぁあの目をグリグリされた博士的なお人が登場してきた部分は中々良いのでは? ってあほぅな文章。
まぁかたち。五人目の生きた女性なんちゃらを殺さず残したのは警察二代目が1代目の主人公を何処か遠くに逃して自身が良いポジションに埋まる為だと勝手にふと落ちる。最近の漫画への思考が上手くはまったわけだ。此処らへん明らかに説明する気のない下手な文章だけどまぁ次。清潔もまた大切だなぁ。あほうだけど。