卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

放課後の音符

放課後の音符、読書、日々

 

読書家でもないのに本、小説を読む俺はどうかしている。小中のとき俺にはよく分からないが小説だとかを読むことは其れなりには好きであった俺ではあったのだが其れでも小説が嫌だ、嫌いだという気持ちが少しずつ自身の中に発酵していって読まなくなっていったのだ。そもそもそのような道など存在しないが俺が本屋に行ってあの並び立つ有象無象の衆、知らぬ他人とも言える名前とタイトル、なけなしとも言える親の金の範囲から選んだ本なんてたがが知れている。どうでも良いやつ、良くても認められないやつ、くだらないと言っても結局は自身が歩むであろう道、自分が弱くて情けないものだと心に思っていた俺には小説が厳しかった。
弱いから強くなれるもの、そんなもの存在しないのだが求めるように俺は生きてきた。子供のとき、小学生前半は親に柔道をやらされていたが運動なんて好まずぼーとテレビの前でゲームをするしか能が無い子供に今から見れば易い環境でも耐えられず次第に登校拒否少年の兆候のごとく言葉にはまだ未熟な所以の行動で拒否をし始めた。自分から辞めると話しづらい柔道の監督さんにいう前にその柔道クラブは人数不足でなくなってしまったのだが其れは結局未来の俺に悪影響を与えているだろう。
自宅の上か下か知らないが掃除をしていると弟の小学生手前か始まり時の短冊的な願い事文に強くなりたいと書いてあって微笑ましいがそのようなことを考える弟であったのだろうなと感じた俺は自分もまたそうやって今まで生き続けて、よく分からん。
俺は小説を書けないことを恐れている。書いてもいないのだ。その選択肢が閉ざされることを恐れて成長のしない環境に自身を於いて時だけを経過させてきた。簡単に言えばくだらない人生。
もう、そういうのやめにする。ふざけた言葉はいらないのだ。言葉はいらない。自分の中に自分で関心を持つ野郎は死ね。

俺は小説を書ける、書いた人に負けている。認めたくない。しかし其れでもではない。ただ私は私を生きるだけだ。もう知らん。