卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

蹴りたい背中

蹴りたい背中、読書、日々

 

夜が明けても五時間後には軽いバイトが入っているから何時もは当たり前のように寝ている時間に本を読んでまだまだ起きていられる自分。世界の人はとはいっても自分のことしか知らないけれど睡眠時間なんて出来る限り削って生きていくことが当たり前らしい勝手な錯覚を保って僕はあほみたいな感覚に苛まれながら今日もまたよく起きたとでも心の中で、ただ独りで誇りながら少々寝る。別にバタンキュッなんて遠い昔を思い返さなければ存在しないほどどころではない惰眠以上の睡眠に日々を費やする私は本当の意味で自分に甘い。俺が他人ならばどのような言葉を掛けるのだろうか。他人と遠ざかりすぎた私は分からない。
山田詠美氏の「放課後の音符」に引き続き綿矢りささんの「蹴りたい背中」を読んだ私は少々勢いづいて半ば小説に浸かった文章によって私を絡ませた感想を此処に残すことになるだろう。
なんというか、あぁこの人も大学になっているのかみたいなぁ倦怠感を少々漂わせながら小説を読む。中学校の時の経験により今の世界、高校生の生き方が半ば尖ってしまった長谷川女史。静かな時を我慢出来ない、何か自分を高潔に思っている? その根源はこの小説は俺には掴めない。自分自身の選択により中学時代から友達となった少女とも半ば疎遠になりクラスで逸れ者。長谷川と同じところに座る男にな川。理科実験の班わけで自動的に外れて人数足らずの場所に流された二人。長谷川はにな川を眺めていて不審な部分に気づきそこからちょっとした、なんとも言えない、日々が始まっていく。
単純に読んでも笑えるし、易いキャラのような型も残っていて運ばれていきやすい。それでいてどうしようもなく惨めな気持ちと詰まった気持ちの矛先の行き方、自分に引き篭もりいけてる感じのモデルながらに世界から見れば目に移ることもないアイドルに傾注するくせにそのことをなんとも思っていないにな川、普通に軽蔑する程度の彼と同じ位置に図らずも存在してしまいなんとも奇妙な歪みでふとした瞬間不自然な行為を彼にぶつける長谷川。
にな川っていう存在、其れがどうして長谷川さんのような子と話せるのかなっていうのはかたちの疑問だけれども実際どうなんでしょう。僕にはこのような感覚は存在しなくて分からない。しかし、まぁ。僕とかも例えば長谷川さんのような人が側にいればこのように見えるのかなとか考えたりします。
文章かわいいしかなかった最初、途中のどうしようもない運び、言葉を発してくるものに動じることなくはっと失言のように飛び出る本音はなにか私と違うなって当たり前だけれども思いました。
僕はどうしてにな川のような存在があれ程までに話せるのか、全てを瞬間長谷川さんに話せるのか、こいつ天才か? と感じましたがやはり長谷川さんも相手が何を考えているのか分からないと述べていて、彼女の友人は二人を微笑ましく見ていますが。作者さんがにな川に位置付けた存在が、この世界配置に基づいて文章を綴ったならばどのような物語になるのか気になります。っていうかそういう存在、どのような存在かは知りませんが、居るからこそのにな川でしょうしって所でもう寝よう。また明日だ、書くのではなく読むのをね。