卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

決して何も死なないからその上で。

日々

ただ読書する機械には程遠く本を読みながらも、中に入り込みながらもただ今実行中のcsシリーズの行方に目を移したり、妄想の続きに移行したり、ただぼっとすることに囚われること多し。
今は伊藤計劃さんが記したハーモ二を読んでいる最中。読みやすいし面白い。文章なんてくだらないと内心考える私であれどその上をしっかり入り込んでいると見受けられるものの文章、活字の想像力にはやられる。だからこそなんだかんだ読んでしまう、見てしまう、会ってしまうのだ。
人は選ぶ。色々な欲望の中でなにか一つを選ぶ。個人を生きる上で拒否していて自身が其処でならば認められる道にへと移動していく。そのことが当たり前の世界で私は生活している。
言葉はない。当たり前にあることは語られないからその上での話以外は認められない。会話や対話をするには会わなければならないし、対にならなければならない。
臆病者。頭の中にあるものが頭の中にしかない理由。実際の自分は違う。臆病者の性質。
19の僕は自殺を確かに成し遂げられる人間を凄いと感じる。世界中でこの瞬間も自殺が存在するが僕が自殺者ではなかったものとして、知人身内として認識していて、肉をもって自殺を成し遂げた人は一人しか知らない。そのものはなんというか知能が薄い人間で僕が4分ほど自転車を漕げば辿り着く踏切に横になって止まることのできなかった電車に轢かれて自殺。
どういう意味合いであれ死にたいということを周りに言いふらす。周りとはいっても母だけだ。弟や父やカウンセラーの先生や学校の先生や学校の友達やネットの世界やコンビニの店員や動物にその言葉は残さない。ただ空中に誰にも届かないところに言葉を吐いた。
全ては合理的。確かでしか運営されない。その上で運営される世界の確かさではポイントのずれる確かさは世界中の全て以上の全てだ。
当たり前のように世界は存在する。私の言葉と、傾注するものでは世界では存在できない。つまり私は人間ではなかった。
人間は当たり前のように何もかも話さなければならない。隠し事も憎悪も性愛も全て話せる土台に置いておかなければ罰せられる。いずれ世界の運営に支障をきたすから。
私は私を世界に載せて生きていこうとする。あの時は決して殺されない。瞬間は誰にも干渉されない。自殺をなす環境に身を置かない程度の人間であったからなのかそうではないのか知らないけれど私は自殺をしなかった。だから生きていかなければならない。死ぬことは罪だ。自殺しなかったのだから。

今は積み上げている。行為が必要だから私は読書をする。小説を書くことや生活をする為に何かを積み上げていくことより本やアニメや映画に身を費やすることは落ち着く。其処に身があるように自分は錯覚をして、時間を使うことに意味を見出せると思い込めるからだ。
しかしこの言葉も以前とは意味合いは違う。まだまだ定まった所に身を置く自身は築くところまでは至っていないが、今の読書。本を読むこと、小説を読むことが私でありながらなにやら言葉を用意して逃避した私は瞬間を読書に費やできるように努力する。そうではない至らない行為、逃避の上での行為がここ五年で為してきたことだったが、今は頭の中での身体の行為を費やしようとする私。違いをしらないが今もまた積み上げて最終的には集団の中の個人としての私が世界に存在するようになるわけだ、私の中で(他人から見ればとっくに其処に位置されている)。
積み上げるという言葉が使われるように、上に周りになにかが載せられていくだけで私は潰されないし浸透しない。時を話すことはそういうことだと考える。
私は傷つかない。過去は変わらない。良い意味で捉える世界。悪いより良い方がましでしょう? それが僕の思想(思想とか哲学という言葉が指すものを実は感覚的に理解していない私。ただのファッションにも至らない造悪な僕が述べた単語)。
私が自室、自身に籠っていたのは最初からだけれども、そういう囚われ、肉体、精神、環境、その他今の自身ではピンとくる言葉を与えられない事象たちが私を型作り、私は今は存在し続けた。その今を今もだが、本当にその言葉が適切かどうか恐らく違う気はするのだが、信仰しすぎる気が自分にはあるのだ。
しかし今、通り過ぎ肉体と外の世界の至る所に積み重ねられた嘗ての今は常に接触も許されず存在し続ける。私の今ということにたどり着けない私は一つの方策として今だった、今としては過去に位置付けられる私が憶えてなければならないと傾注し過ぎる今から身を切り離すことを今に用意した。
僕は積み上げて生きている。全ては今の連なり。僕は様々なものと共に瞬間肉体に連なるものと存在する。居ないことには出来ない、生きることを認めるならば。
自殺しなかったから生きる。一度も試みたこともなくただ五メートル前方に備わる自室二階の窓を眺めて死へと繋がる様々に身を震わせる瞬間に纏わるもの、その瞬間は今の考えでは切り離すことは出来ない。私に囚われた私がしたいことはその瞬間に実際やりたくとも出来なかったこと。それを可能とする為に今を積み上げても決してその瞬間は傷つかないことを今も知りながら少しずつ動いている。
一体私は何をしたかったのか。世界に存在するものの上で何かないものを表したかった。その為には私は有るものをしっかりと物にしなければならない。つまりは少しずつ色々なものを整えて生きていくことが其れに近いってこと。まだまだ自分に存在した上で言葉に出来ないものを出来るようにね。それだけ。