卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

ぐだぐたとした人

ぼーと目を瞑りながら夢想しているうちに眠る

 

とにかく私自身のぐだぐたとした思考を大切にし続けて生きることは死ぬまで自身周りのなきに等しい環境で生活することと直結してしまうふざけた傲慢さ感覚。中高校生時分で完全に与えられた道はギブアップ。だからと言って自身として生きるにはそれまでもその時にも色々と弱過ぎたから縋るものは何もない。せめてものの事象、今まで漫画を読んできたこと、物語を為す存在に憧れていたこと、母や祖母が文化を為す存在に憧れていたこと等々。そうである。この道のこの行為もまた赦された道、それでしかないのだ。
しかし文字面、感じた通りの世界ではない。世界は簡単ではあるが、見方が悪ければ全くの悪意の塊(篭りで人と話さない自分が言うのもおかしいがそういうことにしなければ一つ言葉を唱えらなかった要素なので全ては明日のみぞ知る)。始まりが篭りの上での言葉は世界に浸透しない。ただ私の頭の中に浸透しているのが関の山であった。
(どうすればいいのだろう…)
別にそのような話ではないが自身の前面に於いて生きてきた世界ならばなんの言い分もない。しかし私は色々なものに私の理解の位置とは違うところで甘えていたようだ。無駄なぐだぐたもまた一つ落ち着いて物事をみるために必要。
瞬間の発露的言葉の積み重ね以外に頼ってはいけないことにした。他者の自身の篭りゆえに勘違いしがちな同じ人の感覚。私は私。言葉通りではなく悪くもない言葉。もたれない上に他者が存在する場所で自分が呼吸すること。
やらなくてはならない。別に言葉に傾注はしない。ただ目の前のものを処理していく。中学や一年休んでから再び戻り出会った国語の先生は其々に子供に未来を示した。君たちはなんでも出来る。世界は国際化しているのだから大きな視野で生きなさい。
私はどちらの言葉もよろけたカッターシャツを着てぼーと聞いていた。田舎の町で育ち、両親も祖父母もその県内、国内の立派なところで生きてきたわけでもないものの遺伝子。周りに凄い人がいたか? いたかもしれない。世界は広く狭い。しかし自分には認識できなかった。したくなかったのだ。最初から諦めているのに諦めないふりをして日々を過ごした若いアホウ。
歩いたことも走ったこともない。常に横になってこの時分まで。横以外に能がない思考だから当たり前のように歩いている人にはびっくりして俺は死んだふり。
言葉はまだまだ自分の適切さを帯びていない。本当にしたければ勝手になる話。俺は五年前に何をしたくて今は何をしているのだろうか。五年後自分は何をしているだろうか。死んでいるとはもう口から出てくるはずもない。
結局少しずつ積み上げて、自分の正直、思い込みではない姿を積み上げて成長していきたい。その為にはとにかく行為を今と今と積み上げて進まないとね。