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何処かの国の超高層ビルオープンの添え物【小説素描】

かたち事物、日々

kakuyomu.jp

 やっぱり生活というものは大切。ちょっくら外を出るだけでは年齢なんて感じられず何年も過ごしてきたかたち、やっぱりコミュニティー入り込むとおぉ同年代、君と僕ではこれ程も違う。築き上げてきた素養、私は一体なにをしてきたんだろう。時間だけを送ってきただけかもしれない。廃れる。滅びる。その言葉は此れからの私、明確だと頭を抱える。

 しかしまぁ彼らの人生なんてクソ食らえって思っちまうからこそ此処に居るわけで(彼らとは、クソ食らえとはまた大きく出るかたちですが)とにかく関係なく自分自身の発露の方法を考えるだけですね。だって私は私でしかあり得ないでぶった肉体の持ち主ですしそれ以上は存在しませんから、享受しているから今此処にいます。

 

 しかしコミュニケーションの方法! 私はとにかく私になろうと、小説家になるのではなく私になって会話をしようと考えたのですが、そういう世界あるのかな? 先週の雨にやられて鬱気味の日曜日、僕は五年ぶりに1996年前後世代女子の会話の文法を聞いたのですがやはり流れは違う! 初めてとも言えるぐらいの遠さで自己紹介をしなければなりませんでしたからくたばらないように、私はどうしてそこに居るのか、どのような人生を送ってきたのか、私は此処でなにをしたいのか、私は此れからなにをするのかをしっかり整理して其処にいったのですが実際名前とちょっとしたこと述べるだけでその場は終了しました。嘘だ! 人生説明はコミュニケーションの朝潮に必要ないっていうのか(当たり前なんでしょうね。知りませんが)。

 しかし永らく篭っていると世の中の当たり前ってやつが全く分からなく当たり前。まぁ世界は広いらしいからね。しっかり生きることだよ、うん。

 

 さてさて前書きは置いておいて、というよりどうしてこのような前書き必要だったのか述べると此れからは私、私だーをもっと当たり前のように生きる。世界は広くて私の当たり前は私の当たり前でしかないのだから篭りで良いから私の頭の中にあるもの、私の周りにあるもの、私の周りの周りにあるものをしっかりと残していくこと大切。私で勝手に線引きしないようにはっきり生きていかなあきまへんなぁと感じたのです。

 その一環として実生活と妄想、妄想部分をねはっきりと自分自身に分かるために書いていくことにしました。もちろん書き物として読めるように纏めます。自分の出来る限りでです。

 

さて6566文字小説『何処かの国の超高層ビルオープンの添え物』の説明をしましょう。

この小説を簡単に説明するとごく一般的な女子高生が目を覚ませば高層ビル、高高度の外壁に張り付けられていて、身も蓋もなく烏に食われてお亡くなりになる小説です。
どうしてこのような小説を書いたのかと言いますと頭の中にあるからです。それだけです。
とにかく頭の中になるものを組み合わせて残せるようにすることが今のかたちの課題ですので、たった一人の私として人生を歩行するために、書いていくだけです。描写も自分的にはまだ弱いと感じますし。
次ももっともーと、自分を書けるようになればなぁと願います。
では、ではー。