卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

ライ麦畑でつかまえて【読書】

日々、読書

 

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一昨日、昨日と結構ぐだぐだしていたかたち。なにか虚しくなってなぁー、ほんとやりきれなくなってなぁ。如何してそうなったのか思い出さなければ思い出せないところに有るけれどそりゃあ今の自分がいるから思い出さないけどなぁ。そういうことが往々にしてあるかたちだからなぁ。謂わば当たり前だからこそそういうものとして全く問題なくなることもあるんだろうね。

(いや良いようによく書く俺だ。ほんと実は鬱々としたもん…、そうだ。そういうものに溢れているからこそ瞬間の発露に囚われて書いているのではないか。馬鹿だ。記憶にしていない。今述べたこともまた不確かなものでしかないが明日の栞として此処は一つお言葉提示)


例えばではなく実際あったくだらない行為を書くと提示すると俺ならば読まないなぁ。しかし書いてみよう。
ただ行為に集中してだ。延々と読み続ける約束を俺自身に掛けるわけだ。もちろん遠い話となってお魚天国にぶくぶく泡吹く世界へ移っていったからこそ今僕は述べているわけなんだ。しかし…、こういうくだらない文章(いつも書いている文章は僕は気に入っていて、いやぁ人もそうはいない所で焚き火、狼煙をあげたら人は来るんだろうか。あほだなぁ。勝手にやりたいこと、やりたいこと…。やっとけなんて言えんわな。お阿呆の誓いとしてさんまを三匹口の中に入れてぼやける必要ありではないか? 知らんがね)、昔の行為、傾注しないものをだね、僕の此処に書いていくのはね、偲びないわね。そう思うから書かんよ。ちょっと若い魔物に気圧食らったかたちだから下手な文章を残してしまったよ。いけねぇ(こういう言葉ね。俺はまだ享受できるほど時間と密量を経ていない)。


さて本題。
最近僕は視野並びに常道固め、勉強的行為対象をアニメから小説、ライトノベルに乗り換えました。此れから自分が何をしたいか考えると、現時点では小説系のなにか、物語を為すものしかあり得ませんし、それだからこそ本を読まないがいつまでも通るわけにいきませんから(別にそんな感覚如何でも良いんですが、僕の場合出自が何に於いても読者、視聴者という受け身のスタートですから、それは被れているに他なりませんから、だからこそ読まないは通らないと考えるのです)。
一昨日ぐらいから読み始め昨日か今日読み終えたライ麦畑でつかまえて。これ一度読んだことある小説なのです。タイトルが素敵ですよね?(この"よね"! なんて見事に使う俺にはまだ通しであるね)。
僕にとってはこの小説、自分自身の人生を他者に説明するのに分かりやすいもんだなぁと、単純に好きになるのではないかと予感があるのです。
予感なのです。こういうこと僕の人生にして大にして多しです。僕は自分のそういう所大嫌いなんですよね。予感は良いんですけれど、予感のくせにして読書ってやつもそれ以外の奴も予感として世間に接させるにはなにか歯車がおかしくて良い言葉で僕は世間を通せないんだなぁ。あぁ、遠慮してはいけん。とにかくその場にあるものは出来る限りの形を繋げて廻してよくしないかんとね。そう考えるよ。
僕は野崎孝さんの翻訳を読んだ。村上春樹の翻訳も有ったんだけどね、ライ麦畑でつかまえてってタイトルに囚われていた僕は村上氏版のタイトル、キャッチャー・イン・ザ・ライ馬鹿な君は死刑っ! つう阿呆さで野崎孝さんの方を選んだんだね。本当そんなこと別に何の関係性も読書には関係ないんだけど、いく道は一緒とは言え観るものが変わると一体どのような私になるって変わらないと思うんだけどね。実際如何だろう。
まぁ僕は小説の読む量は少ないけれど、四、五年前に読んだのかなライ麦畑ちゃん、この文章に惚れてね。猿が先か狐が先か知らないけどね、僕は結構影響されているんだよ。この所謂一つの文体にね(文体の意味を理解していないかたちではあるんだけどね)。
内容について説明しろって? それは俺には気の滅入る行為なんだ。辞めてくれよ。いや誰も急かしていないけどよ、それでもそうつぶやく俺は此処にいるね。
僕はね、将来に置いておきたい本なんですよ。いやだってね、今の俺が述べるには死んだ弟、そして妹が居てホールデン、君って奴は幸せもんだなぁ!って最後に呟いてしまう俺なんだから。俺はそんなことで止まっていたくないんだ。そりゃあ他人のお話だからね。僕は自分のお話をしなくてはならんから、ライ麦畑につかまえてと僕との違いが特と理解できるほどにバランスのとれた生命を送ることが可能になればなんか色々と語れるような気がする。俺には私があまりにも足りなさすぎて、そのくせ私であることに拘って、今此処に居るわけだからさ。ふざけて居るんだけれども其れこそが俺であるわけだから、まぁふざけていると文句なんかつぶやく必要なくなるぐらいに生活していきたいね。今僕が大事だと思うことは勝手に今という刻を私の感覚によって捻じ曲げないことだからね。それをやること。大切です。