卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

私は色々なものではなく此処に肉体を保ち存在する私である。
人は何事も可能である。その認識を保つためにふざけた価値観を身体にぶらぶらぶら下げて呼吸することは誰しもが通らなければならない道である。
私はどこかにお勤めして夢想と妄想を断絶させて、遠い麗しい夢にしてしまうことが嫌だった。
しかし私ではない。私は私を享受出来ていない。夢想と妄想と上手く付き合っていく素地が身体の中に存在していなかった。
「私は一体何をしたいのか、分からない」
分かっているくせにふざけた俺は死ぬべきだ。16歳に軽い環境に倒れて、17歳で遊びは通用しないと思って、三年うろうろして、この一年。
当たり前のように夢想と妄想の世界に生きる人間ではない。普通に生きてくとしょぼくれたおっさんとして、誰かと結婚してしまうのかしないのか、何方にしてもその行為を理解出来ぬまま時間を経て苦しみをじわじわ携えて私はその世界を逃避する。そしてその世界に囚われ続ける。
(しかしそれは今もまた同じで、僕は16歳で発症する人生を送ってきた。俺が良く知るモラトリアムを名付けたおじさんよ。俺は確信的にあなたの言葉じゃ今の世界通用しない、そんな当たり前16歳の時から感じてますよ。教育、知識体系を身体に携えていないからこりゃあ自論の論を抜いて思い込みですが、人はね、其々自分自身の心に、核になる部分に基づいて生きているわけありませんから、強い人間は俺には見えませんからね、だからそんな単純に通過することが出来た、馬鹿だろっ! そんな生命体、教えてくださいよ、心から思いますよ。ただ流されるままでその16歳、思春期を携えて生きる、決してナマの思い出であったならば、その中の登場人物完全に他人になりますか? そこまでに世界の道理弁えた人間、僕は凄い! 褒め讃える)
はい、一例。文章を見返して私は次に何を書こうとしたのか思い出す。
私のこの何にもしていない時間、他者から見れば本格的に篭りに位置する17歳からの5年間、俺は生きてきたが今何をしたかと聞かれると何もしていないと述べる5年間。色々な言葉の中に入り込んでぶくぶく泡を吹いていたのが真相。そんな様々の一節。
えらく建設した人間のように見えるんだ。存在する一節置くことの出来た人間はね。そしてそうでなければと思うんだ。いっぱいあるんだよ、俺の人生、経過した時間。
しかし生かさなあかん。生きていない人形はただの置物。糸をしっかりと通して、通すのは誰だ。俺だ。
俺は色々な人の社会に身体を放り込んで生活しなければならない。少なくとも五年前に比べればやれば為せるを頭の中に置いてある俺だ、可能である。
向き合い戦い覚えていく。今も為せていないのに昔ばっかりみてずっとぐだぐだ書くのは納得の言葉載せる以前にしょぼっちいと感じますよ。立派な、言葉はただ空間に置くだけで生きる私になりますよ。
入った場所でごちゃごちゃ積み上げて生きる。それこそ一番。間違いなく。