卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

嫌だに付随して溢れる雫を集めて

僕の人生において僕が人に話し掛けたことは余りない。挨拶だとか私も相手も何の接触もない行為ならば、許されたとばかりにちょこちょこ人が集合する学生時代には行ってきたが、それって結局何の意味もなし、ふっーと素肌を易しく撫でた吐息でしかなくてだからこそ今僕は自身を篭りと呼ぶ。人と会話する行為自体を大げさな位置に付けるからこそ、篭りなのだ。何を孕んでいるかによって人は人を決定付けられる。自分でお話出来る言葉を日々唱えていくだけだから。
(一体何を話せば良いのだろうか。何か途轍もなく消沈した空気を俺は嫌であるが、ただ言葉はなかなか述べられない。何か良い言葉、良い言葉〜。何にもない。あぁ他者が訪れることを願う俺。何かお話は難しい。そのような話に逃れて、目の前の存在にぶつかれない、なんて弱い俺、俺)
俺はどのような子供であったのであろうか。さぞ無口な人間であっただろう。他者からやさしいという言葉のレッテルが貼られていたが、俺はその言葉が大嫌いであった。俺の単体の状態、会話を為そうにしても自身の脳に浮かぶ言葉をどのように目の前の存在に絡ませながら状況を運んでいけば良いのか。私自身の人間性が会話が当たり前の世界には表出していない。何処のクニにも其々にお話にするのに必要な素地はある。私は人と会話、他者をモノとして扱うことに拒否感を感じる程度の人間(この言葉は非常に個人的。此れが示す位置は正しさを帯びていない。もう少し正しい位置があったことを自分は知っているが今の私の脳の中に理路整然とした筋道は立てられていない。今の態度で時間を纏わせていけば、どうであれ分かりやすい言葉は述べられるようになるだろう)でだったから、それでいてその位置を続けることに嫌気がさしたから引き篭もったしどうしようもなかった。
今日俺は自分で会話を為そうと努力した。実家とネット(私の域は出ない程度)以外に二つのコミュニティ(学童保育のアルバイトと市民演劇)に参加出来るところまで進行した俺。良いものでなければならない、屑は死ぬべきだだとか、此処で示されるように僕はナマの自分に大きく自意識を置くととてもではないが虚しさが込み上げて耐えられなかったから今の俺は非常に屈折して"分かりにくい"人間になっている。
「助けてもらっている」
俺は篭りだから、視野狭窄だからこう悪くナマの私を考えるのだが、結局それでしか人は生きられない。更に更に、世界は私に今の現象の感情を見せ続けるのだからもっと私の知らない分からないされど知っている視野は何か違う、存在の肯定を示しているはずなのだ。例えば今並び立つ私の事象、それもまたはっきりとした言葉として教えてくれるモノは世界には有るのだ。だからこそ私はただ普通に生きるを続けていくのだ。
俺は今まで自分の居場所が此処にあるとはっきり述べられたことはなかった。今もまだまだだ。此処は私が私として生きられるようになる為にある。一つの個人の中で祭り上げられた要素に助けられて、私は私として生きていく為のちょっとした感情を頂いている。それは色々な言葉。自信。一つ、言葉を述べられる為の。
僕の前面の綴りは17歳からほんのちょっぴりしか進行していない。しかし、とにかく、私は頭の中にあるものを、目の前の人に為して、生活していきたい。努力を続けて、理路整然と言葉を当たり前のように紡げる人間になりたい。良い人間になりたい。