卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

自意識過剰の次の段階、経験中…

囚われのかたちは読書という言葉に負けて逃走し、今に至る。
読書は生活に入りきらず、本を読むということは自らを高慢じみていることを意味した。
私に読書は遠すぎる。
しかし少しずつそのような囚われと上手くお話を出来るようになり最近は読書、主に小説ライトノベルの域は出ないが読めるときに読めるように努力はしている。
文章を書く行為がひとまず自分自身の中に浮きながらも生きているように、小説を読む行為も同じように自分自身の生活にはまり込める素地を作ることが一つの目標。
昨日かたちは電車の中で読書をしていた。
ビアンカ・オーバースタディ』を読んでいた。
ビアンカ・オーバースタディ』には直接的に男の性を女生徒が抜く場面がある。
公共の場では出来る限り表面に性的なものを示さない方が良かろうと考えるのがかたちの心理。
しかし此れは文字。物語の一環として含まれるだけの事象。性的な目で読んでいるならば、かたち的にはアウトだが、私はライトノベルを読んでいる。ならば大丈夫。
「……」
普通電車座席の端に座るかたち。横におばあさん。向かいの座席に魅力的な女性。左にも携帯弄る雰囲気な女性。しかし関係なくかたちは読書。
「……」
かたちは物語を読んでいるのだ。ライトノベルを読んでいるのだ。そうであればこそ何故本を閉じる必要がある。たとえ、たとえ…。
「……」
しかし自然に感じてしまうものにかたちは自らの負けを認める。
かたちは『ビアンカ・オーバースタディ』を閉じリュックサックへと消失させた。
まだまだ自分自身の性格を世界に落とし込めていないかたちだったよ。当たり前のように読書し続ける程度は遥か遠い話であった。自分自身を投射出来ていればもっと簡単にお話を読めるんだろうけどね。まぁ一日一歩、三日で三歩。一歩進んで二歩下がるってね。下がっちゃっているけれど、かたちは進みます。