卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

立ち止まった思考にて振り返る

 僕は気が狂っているらしい。現実ではまだまだスケジュールにスパンがあるし一つ練習としてインターネットで会話経験を得る為にチャットに参加するとそう述べられた。まともな言葉を成していない、薬飲んでいないとか、正気?ってね(薬飲んでいるという表現が理解できるだけでもう其れはまともではないのだろうか? 僕は知らない)。思春期時代には気が狂った人間に憧れていた私は本当に気が狂ったらしい。喜ばしいことだ。
人は何かになる為には、何らかの執着を解き放たなければならないらしい。自分がそのものだと、何にも感じなければ、思わなければこそ、あなたはそのものになれるのだ。
しかし、私は私を紆余曲折あれどまともに生きてきたつもりである。
私は感謝の気持ちを与えられない人間だ。そもそも感謝していない。いつも、行為がお開きになるコンマ数秒にて(あっ…)と一つ言葉が足りていないことに気づく。
人間として生きるというのは大変だ。まともって大変だ。正直言って、家系的に、様々なまともの存在の中、いわば学校的(なにせ社会経験ゼロの21歳ですので)模範からはほど遠い私である。残念ながら、正直に、素直に生きおうとすると(まだまだ身体は満たされていないが)こういう言葉しか生み出せない現実だ。
其れなのに僕は嘘と誤魔化しを続けて、生きてきた。他人も自分も何もかもにくだらない姿を示して、耐えきれなくなって僕は此処までやってきた。思えば遠くに来たもんだ、思わず呟きたくなる。
「私は私のことをまともに思っている。其れは私という視点に於いて、だ。他者と混じると君はキチガイ。異端」
まともなんて知らない。知らないから今此処にいる。色々混じり合って話は分からなくなる。昔のことを一々審判していても、何の解決ももたらさない。私は私を、今を生きる。