卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

さんまの降った街から

kakuyomu.jp

さんまなんて2017年一匹しか召し上がっていないかたちではあるのだが(かわいいおチビちゃんが三人居るいとこの家で頂いた焼きさんまは誠に美味であった)、何故かさんまという単語に弱い。身体がピタッと止まりあの死んでいるのか生きているのか分からない(もちろん私は死んださんまぐらい、というよりネットの画像検索でしか出会わないさんま)ギョロッとした眼つきにやられてしまうのだ。
そんなかたちが私定めの為に使わせて頂くTwitterにてさんま、さんまと呟いているとさんまbotと言う名のさんま単語収集botリツイートされた。何かサービス精神が高いふうを気取るかたちとしてはさんまbot野郎(失礼)に一つ言葉を与えてやろうと大昔たる2016年の記事に落としていた小説、『さんまの降った街から』をカクヨミ様に纏めて置いておこうかなと考えた。おぃ、さんま。俺は一応このようなものを書いたことあるんだぞとおごり高ぶるために。
『さんまの降った街から』。いつからか知らないが実体が存在しないさんま狂信教たるかたちが2016年の終盤にでも記した小説だ。かたちは一応書いた小説や詩に位置付けられる作品は小説家になろう、カクヨミ、はたまた文学フリマにて形にして示してきたのだが、いくつかは其処に嵌ることなく此のブログや今現在母が個人占有している母の金で買われたWindows10pcくんに納まっていたりする。『さんまの降った街から』は一応此のブログの隅にてあくびをして座っていた為彼を簡単に拾うことはできた。
此の小説は7万文字程度の量である為、すらすら立ち止まることなく読んでも二、三時間程度掛かるから、そう考えるともう既にブログに記している経緯も考えればナマのままで良ろし、更に余り現時点で『さんまの降った街から』に大きな熱量、そんなものを込めると大きく改編して別の作品になるため、何も手を加えずナマのまま置いておこうと考えたかたちは最初のブログに記された状態から何も(とは言っても最初の導入の余りに読みづらい部分には改行だけを施したが)を手をつけず公開しようと考えた。何と言っても此の小説、僕の記憶にある限りでは余りにも事象の立脚のピントが乱れまくりで読むことに傾注出来ないものなのだ(ならば発表するなが当たり前の話ではあるのだが、残念ながら今のかたち並びに過去のかたちもまたその程度で生きていることは事実である。それを認めて、私は作品を置き明日を生きるのだ。少しでも前進できるようにと)。
『さんまの降った街から』。此の作品の内容は読まないと説明できないかたちで有りながら、今は読む時期ではないと考えてしまうかたちは出来上がるに存在した僅かな経緯と性格だけを此のブログに記しておこう。
此の小説の性格を簡単に書くと
『2011年3月11日。その日に起きた大きな地震に纏わる世界の流れに対する私の言葉』
である。
2011年3月11日をかたちは奈良の田舎は端町の中学二年生として経過した。あの日かたちは塾がある為にいつも通り部活を早退しててくてく自宅へと帰宅して津波に車が流されている様子を今は亡き祖母と見た。然し塾のテスト等色々作業をしなければならないかたちは、わぁ凄いんだなぁという感じで何やら不穏な映像をなんてことなしに見ていた気がする。凄いことが起きたんだから、凄いふうに振る舞わなければならない。東北に親族や友人どころか知り合いも居ない奈良のかたちにとって、正直どうでも良い話にしかならなかったというのが2011年3月11日であった。様々にかたちを覆う話の状況がその日によって影響を受けていても、かたち自身の心を直接殴ることも触れることもなく通過していていった。その筈であったのに。
かたちは甘えたおぼっちゃんであるし、何やら自分自身の言葉を綴るには様々が言葉足らずであるように思う。もう少し違うアプローチがあるよなと考えながら言葉を紡いでいるが、それでも続けていく。
かたちは簡単にいえば、嫉妬してしまったのだ。かたちは自分自身の性格を社会に唱えていくには能力も拘りも薄過ぎて、言葉は常に舞台の裏、私の中に消えていくことに耐えられなかった。その辛苦は自分自身の傲慢、私自身の中で収まる他ない問題であることを知りながら、能力に薄い私への解決策として自らに苦しみが迫り、それでも生き残り立っている自分があればと夢想した。私より苦しい人がいるから私は言葉を唱えてはならない。私の苦しみなど誰も目にあてない問題。そんなものを苦しみなんて誰も認めないから、私は苦しみを唱えてもいないのに口を閉ざして自らを苦しめていった。私に言葉を話す価値はない、私は生きていないと嘯いて引き篭もりへと導かれた。
僕は災害に耐え忍んで生き残った人たちに嫉妬した。自らを立脚する大地が穢され、それでも生きている人の言葉に負けた。彼らの人生に負けた。其処に立っていない自身を呪った。私たちはあの災害を乗り越えてきた。そう語る彼らの言葉を見て、一体私に何があるのかと考えると何もなくて絶望した。だから言葉に出来ない感情を自らの胸に抱え込んで私はその言葉が当たり前のように並び立つ舞台から遠ざかり、その連続が私を引き篭もりへと導いた。
2011年3月11日以前には時々さんまを嗜んでいたかたち家であったのだが、その日以降さんまはかたち家の食卓には現れなくなった。原発関連のニュースに固執した母の計らいにより、セシウムか何か知らない身体に悪すぎる存在を充分に吸うさんま等々様々な魚とは縁が遠くなってしまった。事実なんてかたちは知らないが未だに母は原発関連の事象に囚われている。さんまはかたち家の食卓に何年も現れない。
私は言葉のない人間だけれども使い方を間違えた五感によって芽生えた言葉に等しく見紛うものは身体の中に携えている。私は其れを言葉に話して世間に残すことは出来ぬ口べたであったことから小説や詩にして発表しようと考えた。その一環の活動の中で生まれたのが『さんまの降った街から』だ。
この小説を書いてから一年経っている。私は変わったような感覚を抱いているが実際は何も変わっていない。かたちは今年始まった時に一カ月に一本小説を書き上げようなんて目標を立てたが、結局二本と二、三本足らずな小説を書いたっきりでまったく何も書いていない。今年かたちは一体何をしていたのであろうか。本当に考えることも恐ろしいが事実は淡々と積み上げられているからこそ思考しなければかたちの精神は少しずつ消失していく。死にたくなければ何か行為しなければならない。
かたちは今を生きましょうと唱えます。無理矢理な話展開。しかしそうせざるを得ない私の生命。願わくばまともな小説を書く、人が読むに足る小説を書けるよう努力する懸命なかたちが出来上がることを今日望んでいる。アーメン。

 


かたちの文章に目を通していただきありがとうございます。自分自身のまともさを依然帯びていないかたちであるからこそ大きな言葉は示せませんが、見てもらっているだけで何かの力になります。明日を今を進めます。そのような気がします。ということで、では。