卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

一つの空気人形の生き方

世界には様々な人間が居て、私という一つの個体には知っている人間より知らない人間の方が多い。だからこれから語ることもいつも通り私という個人に引き篭もり、様々から逃れたかたちという一人の人間の妄想に過ぎないことを断っておく。
私ことかたちは私の知っている範囲、まだまだ五年間引き篭っていたくせが消え去っていないため、隣に立っておしゃべりする人間を語ろうなんて百年早いと考えている。いやかたちが他人の尊厳を俯瞰して定めるなんて、そんな話、百年だとか千年の問題ではない。時の蓄積だとかいう道の傲慢ぶりをもってすら語れるはずもないどうしようもない話なのである。つまり私は私の話しか出来ないのである。誰の尊厳も俯瞰しては傷つけられないかたち自身のお話なのである。
ふとした一つの浮いた話だ。かたちは人間というのはただの空気人形に過ぎないのではないかとまだ外は暗い深夜の自室にてぽけーと回転椅子に座っていたときに思った。空気人形は空気が入っていなければ人形として屹立しない代物である。人間は様々な方法で空気人形を満たして人の形を保っているのだ。
例えばかたち自身の話で語らせていただく。かたちは短いアルバイトとして学童様で働かさせて貰っているのだが、天真爛漫に跳ね回る子供さんたちと接しているとエネルギーを貰える。こうしてまだ読むに足りる文章を為せる程度にさせてくれたのも子供さんたちのお陰なのだ。其処で働く前はかなりの陰鬱なかたちであったが、働き始めてから少しずつましなかたちになっていき今や外と接しようと小さな一歩の連続を繰り出せるようになっている。本当のはなし、正直なところこんな一歩、屁の足しにもならないのが現実的な道であるのだが、それでも歩まないと何にもならないわけなので歩み始めている。
然しかたちの方法は現実的な痛みを身体の中に携えず、ひたすら空気をしゅーしゅーと空気人形の首の後ろに備わる空気栓から入れ込んでいるに過ぎず、なにか発展性がない。しかも、しかも。かたちという人間は自分自身が認める通り余りにもおっちょこちょいで自分自身が生きることも為せていない生物だ。引き篭もる馬鹿野郎だ。引き篭もらざるを得ない人間であったならばこのような口調を感情もなく言うのであるが残念ながら感情を込めて話してしまうかたちにはまだ別の違う、事実の連続で為す世界があると思う。だから生きるのだ。今をね。
空気人形は様々な障害物に満たされた社会で薄い皮一枚で生きていけるはずはない。だからこそ空気人形は様々な対策を経て生活を実現させている。例えば余りにも穴だらけでも自らの身体は空気満タンと勘違いさせる命令を脳に掛ける電気で薄い皮を立脚したり、空気人形の強敵になる黒いカラスのどう猛なくちばしを受けないビルの中で生活したり色々だ。引き篭もっているかたちには分からないけれど、本当に色々なんだろう。
かたちは自分の空気人形について考えるね。かたちはかたちの環境しか分からないことにして何年も生きてきたからね。かたちはこの五年間で分かったこともありゃあ、分からなくなったこともいっぱいあって、それでも人間なんて余りに多種多様なんだから私の肉体で為せる保たれた世界を運営し続けるために生活出来る私になろうと今は考えて行動しているわけ。行動を積み重ねていくわけ。
かたちという空気人形には割り箸が身体の中に入っていないのね。割り箸っていうのはどの空気人形の中にも存在していて人間ならば五体満足に近い形で生まれてきたのならば身体を支える骨ってやからは大体からにして存在するけれども、空気人形に骨はない。なんにもないただ皮一枚空気人形。別に何を入れなくとも首元の空気栓から空気を入れれば全ては済む話かも知れないけれども、それだと卵形になる風船のように、ぶくぶく人の形を為さぬ空気人形になってしまい、空気人形にまみれた彼らの社会に溶け込めない。だから割り箸をたくさん身体の中に入れて、其々の空気人形ブランドを確立させるんだ。その過激さといえばキリがない嵐なんだけれども、田舎引き篭もり空気人形のかたちには余りよく分からない事案なので話は控えさせていただこう。
かたちという空気人形は割り箸を身体の中に入れて存在しなければまともに身体を動かせないのに、全く割り箸を入れず運用していない部分を放ったらかしにしているのね。
どうしてそうなったのか。上手く語れないかたちでは有るけれど昔こういうことがあったのよ。ある時期にかたちは様々なことが重なった結果自分自身の空気栓の行方がよく分からなくなって、首もとに空気栓があることも空気を上手く注入する方法も空気栓の栓も全てに理解は遠くなって、栓の抜けた空気栓が有るであろう半ば憶えている場所を空気がどんどん抜けていく自身のぶよぶよの空気人形の手で縛って(空気栓は他の人形と変わらず首もと辺りに有るから縛るとなると人間ならば猟奇殺人のようなひどい格好になっているかたちな空気人形)、実家自室の床に放ったらかし状態。かたち空気人形はそこらじゅうに穴が開いていて空気は抜けていくんだけれども、もう手は完全に沈黙状態のかたち空気人形には何にも対策は出来ないでそうしてしばらくの間何一つ行動できない死に体のかたち空気人形は五年間放置され続けたの。その間に何が有ったんだろうね。空気人形から空気は完全に抜けてしまったんだけれども、何故かまだ生きてやがったの。自らにはまだ空気が有るんだって、身体の中に有った割り箸は全て折れてしまっていても考えていたの。部屋の隅に蜘蛛の巣が張られた埃まみれの部屋、半端な雨戸の閉めに部屋への侵入を赦された太陽の光は窓を覆う青く薄いカーテンを通過して力を失った穴だらけ黒じみた空気人形に届いていたの。まだ、君は、生きているんだよって教えてくれていたの。晴れの日も雨の日も、少しの光だけでも届かせてくれていたの。あの余りにも神々しく太陽系を中心で支える太陽は地球に生存する空気人形の中でも全く何の役にも立たない一人自ら気ぶれて落ちぶれた空気人形にも何の齟齬もなく光を与えてくれていたの。だから、今、こうして、此処で話すことが出来るの。例え聞いている人が少なくとも、少しずつ胸を張って語ることが可能になってきたの。一つの空気人形として世界に当たり前に存在することを認められるように生きられるようになれるかもしれないの。だから、今を生きるのね。それしかないこともまた認める折れかけの割り箸を何本も身体に携えて、穴だらけで空気は入っていなくとも、立っているんだよ、かたち空気人形は。何とも微動が限界な空気抜けかたち空気人形は五年という年月で日々の微動を為して身体の中に散らばっている折れた割り箸を上手く工夫して自ら奇妙な動きを展開するにしても、動けるようになったのだ。
しかしこの何とも奇怪な動きで進行するかたち空気人形の行く末は一体どうなるのであろうか。自らの欲望や逃避を言葉にしやがったりしなかったり、その日の気分そのままで生きようとするかたち空気人形はいつかかたち空気人形が考えていない形で痛い目に合うと思う。かたち空気人形が身体の中に入れられなかった割り箸がたくさんかたち空気人形に刺さりかたち空気人形の皮は穴が開く以上に裂けてしまい、もう再起不可能で最後は流れる風に飛ばされて、無常に流れる川にまみれて、川を上るシャケに喰われて、消えてしまうだろう。
どうで有るにしてもかたちとしては、分かることとわからないけれども身体に携えておくべきこと、色々な考えが渦巻く中でかたちとして肉体の生存が認められて生存出来る道に進みたいです。そうしなければかたちと認めている空気人形の肌は溶けて剥がれ落ちてしまうから。そのことを考えると何とか生きないといけないなぁと思考を溢します。
そのような思考を溢してかたちは今を生きてきます。かたちの今が現実的に満たされていくように行為を積み重ねていきます。一つの手段としては読書をしたり、小説を書いたり、文通を始めたり(かたちは手紙を書いたことはない身で有るのですが、始めたのです。ご相手はいつでも募集中ですよ)演劇を始めたり色々始めているのです。そうしていつか何処かで私が生きていければ良いと思います。何か欲望を携えているからこそ此処に居るかたちですが、かたちの明日は果たして果たしてというところで今回は終了。また今度ね。此処まで読んでくれた人ありがとね。それぐらいは言っておくのだ。その程度もなかなかできないかたちでは有るけれどね。まぁ生きるだわさ。