卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

人は自分自身以外とは出会わないという前提。
生まれたときからかは知らないが、被害妄想かどうかも知らないが、私の人生に於いて私の感覚では生まれてこの方(引き篭もってからはどうか分からないが)私の人格への攻撃など当たり前すぎて、そこら辺の感覚は麻痺しているのかもしれない。一人の人間としては、私よりも苦しい体験をしている人間がいるのだから、私は声を挙げてはいけないみたいな感覚で生きてきて、そこら辺の、色々な攻撃で受けた精神疲労は溶かすことが出来ずに、高校生時分の私の言葉を借りるならば、私の心の中の一つのコップに水は溜まりに溜まり、もう溜まらない。少しでも負担を掛ければ直ぐさまコップからは水は溢れて私は苦しみを訴える。もうコップから水は引くことない。負担は延々と外へと吐き出す他ない。
私は柔道の先生、母、父、塾の先生で心を締めつけていったのだろうが、こういう話は何処にでも有り触れているのだから、どの子供にも親がいて、それぞれに悩みと苦しみを抱えているんだから、私は特別になって、心配なんてされるわけがない。私はなにか特別になろうとしていた。祖母はいつもなにか人と違うことをしなさいと述べていた。私はなにか特別になろうとしたけれども、それはなるものではなく、勝手に落ちていくものだと知ったのはつい最近のことであった。まともな人間は僕の周りにいっぱいいたのに、自分の視線が悪いからなのだろうか、私が自らなにか語ろうとすると神経が入れ乱れた恨み節以外しようとしない。私は口を動かしていなかった人間。口を動かすことは重要だ。もう私には言葉はなく、ただ脳だけで話すふりを演じている。いつも、人を傷つけない、私を傷つけないために言葉を探して述べているから、なんの力も持たない。私は19歳で死んだ。そう思っておかないと、なにか気が狂ってしまうのかもしれない。自分は自分を知って何もかもから逃れた。いやでも生きている。私は私の感覚からは逃げられない。私が生きていることから逃れられない。その情欲に縛られて生きている。それ以外は知らない。