卵の殻保存同盟

落ちた鈍い殻はとてもおいしい、と思う

俺の書いているのは小説ではない。小説っていうのは自分と向き合えている人間が書くものだ。最近になって出版社と呼ばれる存在を通して世の本屋に並ばれている小説という類を読めるようになったかたちは何もかもよく分からず、分かろうともせずに日々生きている。自分は違う、此処に生きている必然性をなんの浮いた感情もなく書かなければならない為にかたちは特に好きでもない小説を読んで、その書をまとめた彼らの人生など私は知らないが、自分は引き篭もりで世間知らずで傲慢で人の縁を軽んじて全てを舐めきっているから小説と呼ばれる類も世間で生きるを実行し続けている人間も嫌いと言ってしまう。思ってしまう。
でも、俺は好きなんだよ。俺は人の人生なんて知らないから、言葉も交わさないし、交わそうとしないんだけれども、実際には素敵な人はたくさんいるらしいんだね。ネットと家族と高校のカウンセラーの先生以外に何の交流もない生活ぐらいしか自らの様々な囚われで出来なかった私には分からないんだけれども、素敵な人はいっぱいいるらしい、あぁその一つ自分に間を空けた死んだ知識を俺は死ねと呼んでしまう。
人には理由があるんだ。俺にもそれを為した理由は全てに存在する。なにかがあったから俺は書けないながらにも小説を書いているし、小説家としてデビューして金稼いで、楽になりたいんだと考える。人生上がって自室に籠もって死まで揺蕩い続けるんだかたち。
なにか親を大事にする話だとかあるけれども、俺は親は大嫌い。父は家から出ていったし、母は大嫌い。母に食費代と寝場所とストレスと様々な家事の負担を掛けているけれども俺は大嫌い。そうして、じわじわ苦しめて、俺が母の役目を与えていた祖母にストレスを与えて寿命より早死にさせた母を早死にさせるんだ。そうしたら誰も俺も捕まらずに、犯罪を犯せるだろ? 俺一人で良いじゃないか、罪を被るのは。母も俺に殺されたって夢にも思わないし、これはもしかしたら、母と同じことをしているんだなぁ、母も昔自分の両親にそのようなことを願って生きてきたんだろうなぁと考えるとなにか思うか、かたち。今は何も思わないね、今はね。
家族を大切にしなければならないし。キャピキャピしたやつもしていないやつも社会性の線を通している輩の言葉を否定、拒否すれば俺みたいになる。俺には何の言葉も想いもない。感情も存在しない。全てあぶくを越えないんだ。その領域で腐って、田舎の誰も注視しない川にゆらゆら流されて消滅する萎びれた茄子なんだよ俺は。
俺は自分を救いたくて小説を書いている。もっと私のまま書き続ける機械に。自分自身しかいないんじゃないか。俺が認めれないものは認められなくてよいんだよ。俺を認めてくれるもの、俺が認めるもの、それだけしか生きられないんだから、俺は其れになる。それが人の道って話。
今みたいに否定と虚無と苦しみ、自殺としか述べられないのが嫌だから、そういう奴の輝きになりたくて書いている。自分みたいにいけなくなった奴のために書いている。俺は書くならば輝き。肯定の嵐。否定もする。肯定の嵐。否定もする。
全部自分のため。俺は生きる。