好き好き超愛してる。

水底の遺物、繭の中、かたち。

自己肯定

人とは付き合えない。映像、文字、写真、イラスト。皆んな人間によって為されている現実。私は一人、誰とも繋がらずタブレットと共に生活している文字感覚、侘しいね。
明らかに私の世界は侘しく寂しく耐え難い虚しさで満ちているのに私は常に平常と在ろうとしているのか。他人の数が足りなさ過ぎる私には認知不可能だけれども気が狂っていると感じられる認知世界から遠ざかり過ぎた私は今一体何者?
普遍的な反応を見せないということは何かおかしな作用を身体に決めつけた私の責任?
私は何か救って欲しいという感情は抱くけれどよく分からない。救って欲しいと本当に考えるならば、救われている。私にそのような感情は備わっていない。
ちゃんとすればちゃんとなっていくと母に語られた私ではあるけれども、その生き方は嘘なんだよ。本当ってなにと聞かれると何か分かっていながら何も答えられない私一面的にムキになって反発した時間を過ごしたけれど、本当に何にもないことを実感する他ない時間を送って、終わった。
ちょっと精神がかぶれて何も出来なくなる無駄な時間。私は何かを避ける。意識的に避けている。そちらの方向へ進んでも何も解決されず苦しむだけで何にも積み上がっていかないから今こうして何にも考えずにぼーとして、良い人馬鹿な人白痴な人を気取って生きているけれどもそれは何の解決にもならない。この低次元にしっかりと生きなければならない。
全てを棚にあげよう。
私は一体何を聞いて欲しかったのか。
『私には人がいません。例えば僕は盆地に延々と暮らし続ける、居残ることを目を逸らして過ごしてしまった…、精神がきぶれているときに文章は書くものではありませんね。全てが乱れて観られたもんじゃない。
ようは人を誘ってどこか行ったりするってことを私は今までの生活に携えていなかったから、っていうか人ってものを、僕は喋るとか、自分の意思感情を通すのが…、いや理由なんてわからんが、人は一人もいないなんてふざけているが。ふざけているって言葉を置いておかないと、本当に呻き、これ以上に意味に足りない言葉で埋め尽くされる、あぁっ! 言葉が足りない。
世界がよくわからないんですよ。どうして、何をしたいんだ。自分が何をしたいのかよくわからない。皆んなが何を思ってそうなっていくのか分からない。どうして人なんだ。私も人なんだ。私が人なんて分からない。肯定しようがない。どうすれば良いんだ。なぜ人間で生きていて歴史があって生活している今があるんだ。肯定なんて、肯定なんて…』
赤ん坊のまま成長していない。俺には誰もいなくて正解。それが当たり前。知っておけ。
私は私自身を立てて、生きる振り、また続けるんだ…。
何か此処まで書いているうちにもものにしなければならない言葉が幾つかあった気がするのに、全て忘れてしまったよ。モノに出来なかった。
頭の中で生きるのが嫌だとか馬鹿だ、馬鹿だ。俺は自分自身で肯定せずに生きればどうなってしまうんだろう。今の全てを忘れて僕は、次の自身の物語との再来を信じて現時点でのサヨナラを告げよう。今の私には何もなさ過ぎて、自己肯定が出来ないのだ。好きだけど、好きだけど、何かが違うのだ。今まで生き方、死ね。死ねって言葉って弱過ぎるね。こんな言葉日本語から消え去れば良いと思う。死ねなんかで消滅する魂が何処にあるっていうんだ。死へと向かう魂あれど、誰も死ねで魂が汚されることは…ってこんな話をしたいんじゃない。どういう話をしたかったんだろう。
『私には何も分からない』
そうだね。俺は自分自身の身体で脳で考えて正解を世界に示さなければならない信仰に嵌まり込んでいるからね。そういう呪術がたくさん俺にかかり過ぎて何が何だか分からんね。
またこうして自分自身を煙に巻いて、何も伝わらないんだ。誰ってわけではなくて、俺に伝わらず世界は一つ今と今を裁断していき、私の大切ななにかにはたどり着く前に忘れられてしまうんだ。俺は何をしているんだ。何を求めているんだ。孤独。こんな言葉なんの意味もない。