有名な人々

三年後、三年前を振り返り、笑った、僕。

「つうかあ」「三月のライオン」

つうかあ」というアニメは11,12話どちらかの話が良かった。
夜中飯を食う間の慰めとして流して空見の状態、二人でバイク(側車って車かもしれない。よくわからない)に乗ってレース、順位を競うアニメ。女子高生でなにやら脇役な雰囲気の二人がトラブルがあり半ば勝つことを諦める(彼女たちが主体のアニメなようだ)。諦めて立ち止まってしまった二人はぐだぐだ無体な話をしていると、黒髮少女の方が先に気に障らない部分に触れてしまい怪しい雰囲気に。二人は本気で喧嘩を始めた。罵詈雑言。殴り合い。その中で飛び出た言葉を黒髮少女は時を止めてしまう「お前のこと大嫌いだ」。それは本当なの? 本気で言ったの? 黒髮少女は続ける。スポーツ少女も続ける。私たちはどうして走っているのか? 今回は彼女たちのコーチに気に言ってもらうために二人は走っているみたいな? でもそうじゃなかった。二人は初めから走ることが好きだった。二人でバイクに乗って走ることが好きだった。今回優勝してコーチとなんちゃらするみたいなことだけの為に私たちは始めたわけでない。たったそれだけのことで諦める? 何を諦めるというのだろう。二人はもう一度バイクにのり走り出した。誰のためでもない。自分たちの為に。

 

「三月のライオン」の何話か知らないが虐めの話は気が重かった。自分が問題にしていないことを横続きにし、話されることに直視が出来ない。
その世界で行われている引け目。自分はそうならないように、立ち回ってきたからなのか。自分の現在の積み重ねと合わない。合わなくてもいいのだが。ヒロイン少女の怒りを自分は直視出来ない。このような問題ないしは世界に何か言葉を与えたくても、一体どうすれば良いのか。自分に出来ることだけが、悲劇を生む他ない学校の先生という職業に同情。怒り狂い、その経験のないわたしには知らない世界だ。俺も怒りたいし、泣きたい。立ち上がりたい。現実に接続したい。俺としてはシリアスと呼ばれる部類の連続を見続けたいのに急にどうでも良いギャグに溺れるのは、要らないよなぁと思うのだが、それこそが生きるための摂理なのかも。逆にシリアスがひた続きになる世界には死しか存在しないのだ。生きる為にはたまに素っ裸にならなければ、やっていけないのだ。生きる連続と重なり合わないから、不快に感じるが、それで良いのだろう。