有名な人々

三年後、三年前を振り返り、笑った、僕。

大人

電車に揺られてって表現ぐらいしか瞬間に浮かばなかったから、電車に毎日揺られて私は遠い場所に行くの。って書く。
書くのはしんどい。思うのはしんどい。考えるのはしんどい。
しんどいから色々と悪い人間が生まれるのだ。
悪い人間にならないように生きているって視点を持つ私は、何も存在しないことになる視点の、乱れていないくせに、ため息も吐けない、痛くもない、痛いよ痛いよって叫びたい、でも実際は何も存在しない空間で息をし続ける。心臓はまだ止まらない。
私の町のおじいさんおばあさんと、中学生の自転車程度の付き合いの道、私が生まれた時はなかったアスファルトの道にはムカデ? そんな感じのやつがそろそろ現れる季節。
書きたくない。現したくない。寝ていたい。支離滅裂な感じ、いつもの私。
ただ気にし過ぎなだけかもしれない。
鶴橋駅に鳩がちょぼちょぼと歩いていた。座席に座るおばあさんは鳩と同心したかのように視点は奪われている。
鳩はどのような鳥かは知らない。でも人や駅や公園やに鳩はいる。人がいない時代に鳩はいたのだろうか。
鳩と云えば三島芳治さんなんだけれども私の中では。都市に鳩は似合うのかな。勝手にそう思っている。
時間を沢山使う。自分を沢山使う。大切。
私は死んでいく。
人は動物でしかなくて、何も存在しなくて、生きていなくて。それなのに無想に浸っている人間ってやつはやっぱり凄いのだ。
簡単な言葉を話すのは難しい。言葉も行動もたった一つではないから、何かをするってことはそれ以外も含み、自分自身が大きく定まっていくこと。僕自身以外になるのは難しい。有るので考えていくって分からなくなる。
唯の宣伝で書いているわけではないが、僕にとって何であれ有るもの、それと共にまだ話そうと思える場所はここぐらいしかなかったので、残していきます。
五月六月に演劇の舞台に出ることになりました。ちょっとした役です。
神戸でやります。興味の有るお方はコメント欄にてお知らせください。

 

ブログをまだ非公開設定していない自分のことをよく分からない。そもそも分かることから逃れた世界でなにかに縋り付きしがみつきとか、そうだからこそよく分からないとかいうのは、一体何を大事にしてきたのか。
大人は子供を分かってあげない。大人もまた子供のときには分からなかったのだから。みんな私のことを分からないのだ。私だって分からないんだから、当たり前だったのだ。
それでも生きますね。それでもやっていきますね。もう明日。時は早過ぎて眩暈を起こして倒れる。簡単なことを書ける人は凄い。嘘の言葉を落として逃げていく。