有名な人々

三年後、三年前を振り返り、笑った、僕。

感覚

感覚って難しい。
三つや四つ、別の場所に行く。皆んな日本語を話している。何を話しているかは分かるけれど、意味が分からない。その場所に続くルールは何によって構成されているんだろう。
言葉が耳に入らないことを恐れている。言葉の綴りが掴めないからって、「ごめん、もう一回言って」を三度も四度も繰り返していたら人が離れていく恐怖。一つの単語を見放して、話を聞いているふりを何度も続けてきた。
話したくなければ話さなければいい。嫌いならば嫌いでいい。好きならば好きでいい。夜中の海辺でキスをするカップルも、有名レストランの残飯を漁る貧乏人もそれぞれの価値観、僕とは違う人生を歩んできた。
僕は僕以外の人間はいないように、僕の世界は僕で足りていると感じている。幸福以外は存在しない、悪い感情や嫌な感情を覚えるぐらいならば、何事も良いように解釈しようと生きようとした。
感性を磨けとうちの劇団のボスは言う。はて感性とはなんだろうか。
人はそれぞれの価値観。僕は僕個人の中ですやすや生きているつもり。あれは無理、可能を当然のものとして息している。初めて会う人はそのことを知らないんだけれど、僕はそれを知らない。知らないことを忘れた。
大切に守ろうなんてゴミみたいなもので、波は砂を簡単にならすから諦めようみたいな、それもありえない。そもそも生命、生きていると勘違いする心臓の鼓動、これを得ている時点、生きているという感覚に縛られる私なんだから波を俯瞰できない。波がやってきてからくるまでの時間内の語りだ。
父が何処かへ行ってから、父の部屋となっていた使われない二階の大部屋で寝ている。ベットの上に布団を敷いて寝ている。19のときまったく掃除をしなかったせいでダニに刺され放題、顔腕、終いには性器にまで及ぶ被害を受けた。今日、バイト先のおばさんはベットに敷くシーツの話をしていた。シーツを買わないとな。掃除をしないとな。ダニに刺されるのは勘弁だ。そう言いながらまた掃除をしていない。時々ダニのようなものが腕を駆け巡る感覚に襲われる。母はダニに敏感で、僕が母の布団に横になると嫌悪感を示す。
今までのままではいられない。これからどのように自分を動かしていく? 何が分かって分からなくなるんだろう。感覚、分かる感覚。分かろうとする感覚。異物にしか見えなくなる感覚。よい人に出会いたい。出会っているかも。それも本当か分からない。それでも、やっていく他道はない。