好き好き超愛してる。

水底の遺物、繭の中、かたち。

地球が大きな宇宙船なんて知識を去年しった。確定を覚えさせることもない大きな宇宙なのに、こじんまりと自分が保てるものに固執する自分は一体なんなのかよく分からなくなる。
出会う人はみんな其々の言葉のルールに従いお話をする。自分の中に篭ることが永かった自分には目の前の相手が言わんとするところになかなかついていけない。もともとそれらしきものとして捉えることでその場を切り抜けてきたけれどそれでは生きていけないから、足を動かす人間でいられないからやめた。やめようとしている。
「子供の頃の夢は色褪せた落書きで……」
どれだけの言葉を重ねても自分は地続きで、昨日までは消えない。さて今自分がこうなっている理由を考えるんだけれど全ては昨日のせい。今のせい。
どうやら最近見え始めているのは今をなんとか解決し続けて明日があるのだ、ということ。今日したことは明日もしたこととして残り、していないことはしていないこととして残る。一昨年の夏に気が乱れて玄関前で放り投げた豆腐の残骸は未だに階段横の天井にこびりついている。いなくなった父が残していったプロレス雑誌は十年も開かれていない。三ヶ月まで着ていた長袖はテレビ横の籠に積み重なっている。
僕が書いてきた様々な文章。文章と表現するのが精一杯な哀しき生命。いつまでも同じことを繰り返して何物にもならない。そんなこと嫌だ。僕は自分が素晴らしいことをしっているのだから。
通過する道に岩が幾つも並んでいると人はその先に進まない。道を封鎖するカビゴンが永久に越えられない壁でしかないなら、そこは通れないという有意識は失われてしまう。ただの壁でしかなくなる。
今出来ることを積み重ねる。掃除も食事も生命も人間関係もなに一つ進ませることのなかった自分。なにもないのではない。なにもないように願って生きてきた。
心臓の鼓動が怖い。生きているという事実、積み上げてきたものがなくなる。気にしても無駄という根拠をなんとか理由にしてそれらしく神戸まで移動を続ける身を得ているが、それでも時として浮かぶその問題、どうしようもない。
友達、大切なものなんてない。なにも得ようとしないになってしまった自分に大切になったものはない。素材だけは存在していて、それらは全ては酸っぱい匂いを香り始めているのをないことにして時間は過ぎていく。
なにかになっていくときに得るものが怖いから、なにもしないんです。
死んでいく。死ぬのは確定からどうするって話で生きている。ないものは最初から生命を持っていない。生命を持っているものまで私は殺すのかな。
忘れた言葉、得てしまった言葉は語ることが出来ない。僕が得ているものもあり、それらは僕の無意識として日々目の前を判断していく。人に語られる一文に収められる私の21年に埋もれてる。
痛くありたいし、愛し合いたい。欲望に溺れた末や、暴力に溺れた末や、嫉妬に溺れた末や、絶望に溺れた末ではない方法で。やさしさに溺れた末でもありません。手を伸ばして握り合って、寄せ合って、視線が合い、手を離して抱き合う。そんな想像を浮かべます。
今は出来ることを出来るようになろうとしている。出来ないことではないのに、出来ないとしている様々が解決されるように生きている。その意識を忘れず、明日を生きなければ、です。
今までの時間が、大切や無駄に収められるような人生を、今を。
他人に私を教えるならば、私は今なにをしているんだろう。私は六月に十月から始まったものがひと段落するけれど、その時間が近づくにつれて別のものと重なり合っているそれについての私の価値はなんなのかと考える。
私にとって、大事? 大切? どうしたい。どうなりたい。よくなりたい。半端なままだと今までと一緒。ならばどのようにしてよくするっていうんだろう。出来ることってなんだろう。人事を尽くすにはどうすればいいんだろう。方法は知っているから、後は様々な勇気。
無限のリヴァイアスのOPソングが好き。自分の人生を語っているようだから。
終わりも始まりもない。そもそもどうやって始まったっけ。記録や明日の為のその1とか。今日のための、今したいことは全て忘れてしまった、或いは逃避。