有名な人々

三年後、三年前を振り返り、笑った、僕。

サルページ

色々な自分がいて、物語がある。

物語の同一性に惹かれる人もいれば、別の物語の芝に惹かれる人もいる。

敵ならば好きという。味方であっても違う物語の所有者に嫌いと述べることが苦手で話を合わせてしまう。本音を言えば嫌いな物語。苦手な物語。

僕の身体でフリーパスとならない物語は僕の中ではそれぞれの位置を決めて安心している。不安や鈍痛に襲われて呼吸が辛い日々を送ることは無理だ。

僕は一人なにもない場所で済ましていれば完璧でいられる。僕は呼吸を安心して行う。

僕が生まれる1996年以前から世界に行われる言葉。まるで固定物のように語られる言葉。僕は自分に可能な言葉だけ引き継いで、後の言葉に対する後悔を涙に変えることもせず、諦めないふりを続けている。目の前に弱い手をあてて、目を開いている。

僕が幼稚に思う言葉を話している大人。僕が子供のとき受け取れなかった言葉を続ける大人。僕が受け取った言葉は大人には幼稚だ。僕がとっている行動は大人には杜撰だ。僕は迷惑を与える。僕は最低と烙印づけられる。僕はなにもできなくなる。約束を守らないから。動かないから。

なにか新しい自分が開けると期待している。本当の意味での未来がどれほど僕に赦されているんだろう。そもそも本当に期待しているかもわからない。僕は自分が一体なにをしたいのか、なりたいのかよくわからない。僕は自分が恥ずかしい。人前に出ることが恥ずかしい。生きることが恥ずかしい。生きたくない。生きることがわからない。

「したいのやりたいのどうにかしたいのなんとかしたいの」

許容かわからないけれど、未来はしらないけれど、僕の言葉は、五年前の言葉が誰かと通じ合うことを望んでいた。叶わなかった。

僕は弱気だ。今の僕は弱気ではない。いつの僕が弱気なんだろう。今を生きていると弱い僕が枕に顔を潰している。いつの時代なんだろう。救いたいけれど、曖昧なんだ。

(いつもあと20%ほど言葉を付け足したら良い感じに納得できそう。でも足りない。言葉がわからない。それは誰かの評価のような気がする。現実に目の前の人。私に足りない要素)